太宰治の遺書を読み解く|山崎冨栄との死を選んだのはなぜ?

 

1948年6月13日、明治~昭和初期にかけて多くの作品を残した

文豪・太宰治だざいおさむ

愛人の山崎冨栄やまざきとえと玉川上水にて入水心中し、その生涯を終えました。

どういった巡り合わせなのか、2人の遺体が発見されたのはその6日後の6月19日、太宰の誕生日の当日のことです。

自身の弱さもさらけ出し、どこか人間臭いところが人気を集めた太宰の作風のごとく、自殺という選択をしたことはもとより、偶然、自分が生まれたその日に、亡くなったことが周囲に知れ渡る。それ自体がまるでひとつの作品のような死に様です。

太宰は最期、何を思って死んでいったのか?

どうして家族を残し、愛人の冨栄との死を選んだのか。今回は彼の遺書の一部から、その心理に迫っていきましょう。

 

太宰治の遺書

太宰治

太宰治
出典:Wikipedia

太宰治の遺書に込められていたのは妻と家族への想い

まずは以下の一文から。

長居するだけみんなを苦しめこちらも苦しい、堪忍して下されたく

太宰は当時、美知子夫人と4人の子どもがいながら、太田静子・山崎冨栄という2人の愛人がいました。

さらに静子との間にも1人娘がいるという状態。

ダメなことだとわかっていても、複数の女性を愛さずにはいられない、そんな自分の性分に太宰自身も苦しんでいたのでしょう。

そして長生きすればまた自分は同じことを繰り返し、家族にも迷惑をかける。そんな心境が読み解ける一文です。

「井伏さんは悪人です」は井伏を責める内容ではない

続いて、太宰の遺書のなかでも特に物議をかもしたのが以下の一文。

皆、子供はあまり出来ないようですけど陽気に育てて下さい。あなたを嫌いになったから死ぬのでは無いのです。小説を書くのがいやになったからです。みんな、いやしい欲張りばかり。井伏さんは悪人です。

前半は家族を心配するような内容になっていますが、気になるのは「小説を書くのがいやになったからです」以降の文です。

そのままストレートに読めば師匠の井伏鱒二いぶせますじが、太宰の書きたくない内容を強要していたのか?といった印象。

しかしこの「井伏さんは悪人です」という部分は、真に井伏を責めるものではなく、太宰のひねくれた言い回しだとする意見が有力です。

1935年に太宰が『逆行』を発表した際、この作品を芥川賞候補に推薦した佐藤春夫も、井伏は悪人と呼べるような人柄ではなく、太宰との関係も良好だった旨を語っています。

そして真意をより確信付けているのは、この一文が家族へ向けた文の最中に織り込まれていること。

美知子夫人と太宰は、井伏の紹介で出会っており、結婚式も井伏の自宅で挙げています。

つまり太宰は「井伏が紹介してくれたせいで、美知子夫人を悲しませることになってしまった」と言いたいのでしょう。

合計9枚からなる遺書の9枚目には、こんな一文も記されています。

美知様 誰よりもお前を愛していました

2人も違う女性と関係をもちながら、言えた義理ではない気もしますが、太宰も本当は美知子夫人だけを一途に想い続けたかったのです。

そういった矛盾もまた、彼の作品が垣間見せる人間的な弱さにつながるものがありますね。

 

山崎冨栄の遺書

山崎冨栄は夫を亡くした寂しさを埋めようとしていた

太宰と一緒に自殺を図った山崎冨栄もまた遺書を残しています。

以下にその一部も紹介しておきましょう。

私ばかりしあわせな死に方をしてすみません。奥名とすこし長い生活ができて、愛情でもふえてきましたらこんな結果ともならずにすんだかもわかりません。山崎の姓に返ってから死にたいと願っていましたが……、骨は本当は太宰さんのお隣りにでも入れて頂ければ本望なのですけれど、それは余りにも虫のよい願いだと知っております。

奥名というのは冨栄の元夫・奥名修一のこと。

彼は三井物産に務めており、結婚してわずか10日でフィリピンのマニラ支店への単身赴任を言い渡されます。

当時は第二次世界大戦も末期で、現地でアメリカ軍の上陸を受けた奥名も戦闘に参加。

そのまま行方がわからなくなってしまったというのです。

冨栄が太宰と出会ったのはその3年後の話。

夫があまりにあっけなくいなくなった寂しさが、彼女を太宰との不倫へかき立てた部分もあるでしょう。

しかし不倫である以上、多くはその恋が報われることはありません。

せめてあの世で一緒になりたいという冨栄の想いがその文面からも感じとれますね。

心中は太宰ではなく冨栄の意志だった?

冨栄は玉川付近の自宅にて、心中の数日前から「青酸カリを隠している」と、太宰を脅し、軟禁していました。

自殺に際しても太宰が抵抗したような跡が残っており、入水前にはすでに絶命していたという推測もあります。

もしかするとこの心中は太宰の意志というよりも、どうしても彼と一緒になりたかった冨栄がそそのかした部分が大きいのかもしれません。

作家・坂口安吾も2人と親交があり、随筆『太宰治情死考』のなかで、「太宰はスタコラサッちゃん(冨栄のニックネーム)に惚れているようには見えなかった」と語っています。

太宰は勢いで遺書を書いてしまったものの、本当は心中などしたくなかったのかも…?

もっとも真相を知っているのは、亡くなってしまった本人たちだけなのですが。

 

きょうのまとめ

さんざん不倫をした挙句、最期は妻以外の女性と心中してしまった太宰治ですが、

遺書を辿るとその浮気癖は自分でもどうしようもなかったことが垣間見えます。

また一緒に自殺を図った山崎冨栄にしても、それだけの行動に出てしまった悲しい事情があったのですね。

どちらにしても褒められる死に様ではありませんが、大なり小なり、人は彼らのような弱さを抱えて生きているものではないでしょうか。

最後に今回のまとめをしておきましょう。

① 太宰は浮気などで家族に迷惑をかけてしまう自分の性分に苦しんでいた

② 井伏鱒二を悪人と言ったのは、紹介してもらった妻を自分が悲しませることになってしまったから

③ 山崎冨栄は夫を亡くした寂しさから不倫・心中に走ってしまった

もし太宰がそのまま生きていたら、さらに多くの作品が生まれていたかもしれない…と、思わされるところではありますが、やはりその死に様が彼の作品の魅力を引き立てているのもまた事実です。

太宰治の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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