オットー・フォン・ビスマルクの鉄血政策とは…なぜ英雄と呼ばれる?

 

「鉄血宰相」の異名で知られるドイツ帝国の初代首相、

オットー・フォン・ビスマルク

物騒なイメージの異名を持ちながらも、ビスマルクはしばしばドイツの英雄として扱われる人物でもあります。

彼は一体どんな政策を用いて、英雄と呼ばれるまでになったのでしょうか。

この記事では、ビスマルクの「鉄と血」を用いた改革に迫っていきます!

 

鉄血政策

オットー・フォン・ビスマルク

出典:Wikipedia

1862年、国民の権利を訴える自由主義派の議員たちは、軍事力の強化に予算を立てようとする国王ヴィルヘルム1世と、陸軍大臣アルブレヒト・フォン・ローンの政策に反対の意を唱えていました。

そのときこの二人は、自由主義派の反対を押し切り、予算が可決されていない状態でもこの改革を押し通すことにします。

そこで改革を押し通す覚悟を持っている人物として、ビスマルクに白羽の矢が立ったのです。

彼はヴィルヘルム1世に任命されて、プロイセンの首相に就任。

自由主義派に向けて

「プロイセンを良くしていくために必要なのは、自由主義ではありません。改革は鉄と血によってなされるものです」

と演説を行ったのです。

鉄とは兵器を表した言葉で、軍事力を意味します。

血は、戦争のことです。

この演説によってビスマルクはさらに、自由主義派の反感を買うことになりますが、軍事力の強化を無予算で決行してしまいます。

「鉄血宰相」の異名はここから来ているのです。

対デンマーク戦争・普墺戦争を経て北ドイツを統一

自由主義派の反感を買ったビスマルクでしたが、そこから3度の戦争を経て、バラバラだったドイツを一つにまとめていきます。

1867年には対デンマーク戦争にて、オーストリアと共に戦い勝利。

デンマーク領にされようとしていたシュレースヴィヒ公国・ホルシュタイン公国の権利を取り戻します。

しかし両公国を巡って、今度はオーストリアとの対立が深まりました。

これによって1867年にはオーストリアとの普墺戦争が行われます。

ビスマルクはガスタイン協定などの政策を経て、事前にオーストリアの威信の低下を計っていたので、この戦争にはわずか6週間で勝利してしまいました。

これによって北ドイツを統一し、北ドイツ連邦を樹立するのです。

普仏戦争に勝利し、ドイツ帝国を樹立する

ビスマルクは北ドイツこそ統一したものの、南ドイツは大国であるフランスからの圧力を受けており、反プロイセンの意識が強固でした。

このままドイツを統一しようと思うと、まずはフランスを抑える必要があります。

しかし戦争を起こそうにも、理由もなくフランスを攻め込むわけにはいきません。

そこで当時王位の継承者を探していたスペインに目を付けます。

スペインの国王の座にヴィルヘルム1世を推すことで、フランスを挑発したのです。

スペインがドイツの手に渡ってしまえば、フランスは立地的に不利に立たされることになります。

これを受けたフランスはドイツに宣戦布告。

1870年、ビスマルクはあたかもフランスに非があるような形で、普仏戦争を開戦させたのです。

この戦争でフランス国王のナポレオン3世は捕虜にされ、パリはドイツの軍によって完全に包囲。

最後には耐え切れなくなったフランス政府がドイツ側の提示した条件に応じ、降伏したことで終戦を迎えます。

一連の戦争を終えて、バラバラになっていたドイツは完全に一つになり、1871年、ドイツ帝国が樹立されました。

ビスマルクは見事「改革は鉄と血によってなされる」を有言実行してみせたのですね!

 

ビスマルク体制

大国フランスを抑え、ドイツを統一してみせたビスマルク。

しかし元々あれだけバラバラだった国です。

他国から戦争を挑まれれば応戦する力もなければ、フランスから復讐される懸念もありました。

そこで安全策として考えられたのが「ビスマルク体制」です。

フランスを孤立させることでドイツの平和を維持

1873年には、オーストリア・ロシアとの「三帝同盟」、1882年にはオーストリア・イタリアと「三国同盟」を結び、フランスの孤立を計ります。

要するにドイツが周りの強国と手を結ぶことで、フランスは簡単に攻め込むことができなくなったのです。

また、ロシアとフランスから挟み撃ちにされることを避ける目的で、1887年にはロシアと「独露再保障条約」を結んでいます。

そしてフランスの領土拡大をヨーロッパ外に向けさせるため、その他の国がヨーロッパ外へ目を向けることには消極的な態度を表しました。

自国が危機にさらされないために、ここまで徹底的な根回しがされていたのですね。

ビスマルク体制下で戦争はほとんどなかった!

しかしこの「ビスマルク体制」は、いくら自国のための政策とはいえ、ヨーロッパ諸国に平和をもたらしました。

1871年に普仏戦争が終わって以来、ビスマルクが辞任するまでの間、ヨーロッパではほとんど戦争が起こっていません。

よって、ヨーロッパ諸国に平和をもたらした存在として、今でも英雄のように扱われているのです。

 

きょうのまとめ

「鉄血宰相」という物騒な異名を持ちながらも、「鉄と血」を使ってビスマルクがたらしたのは、ドイツの統一。

そしてドイツ帝国の樹立が、その後のヨーロッパ諸国の平和にも繋がっていくことになりました。

そんなビスマルクの政策を簡単にまとめると…

① 自由主義派の反対を押し切り、鉄血政策を決行した

② 3度の戦争に勝利し、ドイツを統一に導いた

③ ビスマルク体制によってヨーロッパ諸国に平和をもたらした

宣言通り国をまとめてみせたこと、そして卓越した政治手腕で統一されたあとの平和も守ってみせたこと。

オットー・フォン・ビスマルクは、ドイツにとって紛れもない英雄なのです。

 










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