オットー・フォン・ビスマルクの名言を紹介!鉄血宰相の思想は?

 

19世紀、ドイツ帝国の初代首相として、ヨーロッパ全土に平和をもたらした英雄、

オットー・フォン・ビスマルク

「鉄血宰相」という物々しいニックネームを付けられながらも、逆境を跳ね除けて功績を残した偉人です。

そしてその政治手腕や人格を表す名言を、彼はいくつも残しています。

時代や状況は違っても、私たちにとってヒントになる名言もたくさんあるはずです。

以下より、ビスマルクの残した名言を辿っていきましょう。

 

戦争を巡る名言

オットー・フォン・ビスマルク

出典:Wikipedia

問題は言論や多数決によってではなく

問題は言論や多数決によってではなく、鉄と血によって解決される

1862年、ビスマルクがプロセインの首相に就任した際、「鉄血宰相」と呼ばれるようになったきっかけの言葉です。

これは要するに、小国が乱立してバラバラの状態にあるドイツをまとめるには、武力を使うしかないということ。

この言葉は自由主義派の反感を大きく買うことになりますが、それでもビスマルクは鉄血政策を実行しました。

「言論や多数決によってではなく」といったのは、能書きを並べたところで問題は何も解決しないということ。

要は「ドイツを統一するために実行に移せる策は戦争しかないのだから、反対だなんだといっている間に行動に移せ」といっているのです。

行動に移すのが怖くて、言い訳したくなることはよくあります。

そんなときに、いましめになってくれるような名言ですね。

私の立場にあっては

私の立場にあっては、我意を通すことは場合によっては犯罪行為である。責任のない立場にあれば、そんな贅沢も許されようが

反対の声を多数浴びた鉄血政策

しかしその決断にしても、ビスマルクは国民のことを一番に考え、実行に移したことがわかります。

自分もできることなら戦争などしたくはない…しかし国を導く方法はそれしかない。

首相という立場にあってこそ、無責任な発言はできないという想いが現れた名言ですね。

同時に影響を受けない立場で人を非難することが、どれだけ愚かなことかを思い知らされます。

みんなが悪口をいっているからといって、自分も一緒になって悪口をいってしまうことはないでしょうか。

その人と一対一で対面したときに、同じことがいえるのかと問われれば、発言に責任を持たないことがいかにかっこ悪いかがわかります。

私は勝利に終わった戦争さえも悪だと思う

私は勝利に終わった戦争さえも悪だと思う。政治家は民衆を戦争から守る努力をしなければならない

鉄血政策を実行し、ビスマルクは3度の戦争に勝利した末、ドイツの統一を果たしました。

彼はドイツをよりよくしていくために戦争を推し進めましたが、この名言から戦争が正しいことではないとわかった上での決断だということが読み取れます。

1864年の対デンマーク戦争のときは、オーストリアと協力することで勝利をものにしました。

1867年の普墺戦争のときは、事前にオーストリアの威信を落とす根回しをしていたことによって、戦争を短期間で終わらせています。

彼は戦争を行うにしても、いつも確実に勝利できるように考え、国民になるべく被害が出ないように配慮していたのです。

鉄血政策によって戦争に踏み切らねばならなかったのは、やはりビスマルク自身も苦しい決断ではあったのでしょう。

その上反感の声を浴びせられながら実行したのですから、その精神力の強さ、首相としての責任感には感服させられます。

 

ドイツを守った思想を感じさせる名言

的確な弾丸よりも

的確な弾丸よりも鋭い弁舌のほうが強力なのだ

普仏戦争が終結してから、ビスマルクは約20年間に渡ってドイツ帝国の平和を守り続けます。

戦争の愚かさを、身を持って体感した彼がもたらした平和は、武力に頼らない平和でした。

隣り合った強国たちと同盟を結ぶことで、フランスからの復讐も、その他の国と対立することも遠ざけたのです。

各国と同盟を結べたのも、ビスマルクの鋭い弁舌があったからでしょう。

予防戦争を仕掛けるのは

予防戦争を仕掛けるのは、死への恐怖から自殺するようなものだ

これも戦争ではなく、各国と同盟を結ぶことで平和をもたらしたビスマルクの思惑を表したものです。

多くの戦争は「やらなければやられる」という思いから始まります。

しかしそういって戦争を仕掛けてしまえば、危機にさらされるのは自国も同じです。

戦争に踏み切る前に、他の手段で解決できる手立てはないのか。

また戦争に踏み切るにしても、被害を小さく済ませられる方法はないのか。

そんなビスマルクの思想がこの言葉に表れていますね。

ビスマルクが首相を務めている間平和に保たれていたヨーロッパ諸国も、彼が辞任したあとには、第一次世界大戦を展開していくことになります。

この流れからも、ビスマルクの政治がどれだけ平和に貢献していたかを感じられます。

 

きょうのまとめ

非難の声を浴びながらも、自国の平和のために改革を推し進めたビスマルク。

やはりその強い精神力を物語るかのように、言葉と行動が一致した、説得力のある名言がたくさんありましたね!

名言から辿る彼の人格をまとめてみると以下のような感じでしょうか。

① 鉄血政策はビスマルクにとっても苦渋の決断。国の代表として非難を浴びるのもかえりみない覚悟があった

② 3度の戦争を起こしたが、同時に戦争の愚かさも知っている

③ ドイツ統一後は、武力以外の方法で自国の平和を守ろうとした

戦争を推し進めたイメージの強いビスマルクですが、本当は誰よりも戦争を望んでいなかったのでしょう。

名言を辿ることで、同時にその苦悩も垣間見えました。

そんな苦しみをも乗り越えてこその英雄なのでしょう。

 

オットー・フォン・ビスマルクの年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
関連記事 >>>> 「オットー・フォン・ビスマルクとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】」

 










合わせて読みたい記事



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

fifteen − eight =