古代ローマ帝国最初の皇帝となった人物、
アウグストゥス。
共和制という政治体制と長引いていた内乱を終わらせ、ローマに平和をもたらし、「国家の父」としても崇められました。
アウグストゥスとは一体、どの様な人物だったのでしょうか。
今回は彼の主な功績を辿りながら、その生涯について見ていきましょう。
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アウグストゥスはどんな人?
- 出身地:ローマ
- 生年月日:紀元前63年9月23日
- 死亡年月日:紀元14年8月19日(享年75歳)
- ローマ帝国初代皇帝。内乱を終結させ、内政に尽力、「パクス・ロマーナ」をもたらした。
アウグストゥス 年表
西暦(年齢)
紀元前63年(0歳)ユリウス・カエサルの姪の息子として誕生。後にカエサルの養子となる。
紀元前47年(15歳)神祇官に就任。
紀元前46年(16歳)ヒスパニア遠征に参加。後の盟友軍師アグリッパと出会う。
紀元前44年(18歳)カエサルが暗殺され、遺言により後継者となる。カエサルの宿敵を倒し味方を増やす。
紀元前43年(19歳)マルクス・アントニウスとの対立。元老院議員に就任。「第二回三頭政治」の開始。カエサルの敵討ちとして大粛清を行う。
紀元前33年(29歳)執政官に就任。
紀元前32年(30歳)マルクス・アントニウス、及びプトレマイオス朝エジプトに宣戦布告。
紀元前31年(31歳)「アクティウムの海戦」でアントニウスとエジプトに勝利。
紀元前29年(33歳)元老院より「プリンケプス(元首や市民の代表などと言う意味)」という称号を与えられる。
紀元前27年(35歳)共和制ローマの終焉。ローマ帝国初代皇帝となる。ここから約3年かけて帝国西方の再編に従事。
紀元前22年(40歳)帝国東方の再編に従事。
紀元前12年(50歳)大神祇官に就任。
紀元前7年(55歳)首都のローマを14の行政区に分割。
紀元前2年(60歳)元老院より「国家の父」という称号を与えられる。
14年(75歳)死去。
アウグストゥスの生涯
ここからは早速、アウグストゥスの功績と共にその生涯を辿ります。
カエサルとの関係性
紀元前63年、共和制末期のローマに誕生したアウグストゥス。
彼の母方の祖母、その兄が『ガリア戦記』等でも有名なユリウス・カエサルです。
アウグストゥスから見て大叔父にあたるカエサルは、その時既に政治家としても軍人としても実力者として名声を誇っている人物でした。
そんなカエサルに、まだ若くして才能を見抜かれていたアウグストゥスは彼の養子となり、次期後継者としての教育を受けて育ちます。
そして18歳になったある日、カエサルが暗殺によって死去すると、遺言に則りアウグストゥスは大叔父の後を引き継ぎこととなったのです。
ちなみに生前のカエサルは、ローマの共和制を終わらせ、帝政を築くことを目標にしていました。
アウグストゥスはその意志を引き継いだのです。
過激な前半生
カエサルが遺した基盤をもとにローマの政界へ進出したアウグストゥス。
彼の前半生における活動は主に、
・カエサル暗殺者たち及び政敵の大粛清
・マルクス・アントニウスとの権力闘争
・共和制を終わらせローマを帝国として統一
といったものが挙げられます。
アウグストゥスが政治に本格的に介入し始めた頃、ローマでは共和制の体制が崩れ、政治不安から内乱が絶えない状態が続いていました。
圧倒的実力と人気を誇っていたカエサル亡き後、真の実力者の座を狙って権力争いがますます過激になる中、アウグストゥスは自身のステータスを巧みに使い味方を増やしていきます。
そして、実質共和制政治を執り行っていた元老院たちに、表向きは取り入りることで自身も元老院議員に任命されます。
政治的権力を得た後は、カエサルの敵討ちとして
・騎士身分2000人
という大規模な粛清を実施。
また、自身の反対勢力に対しても容赦ない粛清を繰り返したとされています。
最大の政敵アントニウス
アウグストゥスの政敵の中でも最も強力な相手となったのがマルクス・アントニウスです。
カエサルの正当な後継者という点で、ローマではアウグストゥスが優勢な立場にありましたが、アントニウスとの権力闘争は10年以上続くことになります。
ローマで不利な立場にあったアントニウスは、クレオパトラが統治するプトレマイオス朝エジプトに協力を仰いだのです。
クレオパトラにはカエサルとの間にカエサリオンという男児がいました。
つまり、両者にはそれぞれ英雄カエサルとの接点があったということです。
軍事力を持たない元老院たちは不安定な情勢が続く中、この2大勢力に協力せざるを得なくなったことで、両勢力は存在力を高めていったのでした。
そして紀元前31年、「アクティウムの海戦」においてアウグストゥス側が勝利を収めると、アントニウスとクレオパトラは自害。
ローマに凱旋したアウグストゥスは事実上、ローマの支配者となったのです。
初代ローマ皇帝
こうしてローマにおける最有力者となったアウグストゥス。
しかし彼は、一旦その権力を元老院に返還しています。
既に力は失っているものの、一応は政治的中枢である元老院から正式に認められるのを待ち、合法的なかたちで真の支配者となったのでした。
そして、ローマの軍事と政治における絶対権力を手に入れたアウグストゥスは、皇帝として君臨。
ローマはこうして共和制から帝政へと移行しました。
皇帝となってからのアウグストゥスの活動は主に、
・防火、防犯対策の徹底
・退役軍人の保障制度を充実
・軍の再編成により軍事費削減
等が挙げられます。
特に、ローマ市民に満足感を与えるよう内政に尽力したことで、アウグストゥスはローマに長期にわたる平和をもたらすこととなりました。
これを「パクス・ロマーナ」と言い、彼の最大の功績とも謳われているのです。
盟友の存在
ここでは、アウグストゥスの人物像にもう少し迫るために、彼にまつわる逸話をひとつご紹介します。
内戦により混乱が続いたローマにおいて、若くして着実に力を伸ばし、政敵を次々と倒して皇帝にまで上りつめたアウグストゥス。
その抜かりない生き方に、皆さんはどんな姿を思い浮かべるでしょうか。
実は彼自身を表すエピソードとして伝えられている特徴には、
・カリスマ的で強引だったカエサル⇔物腰優雅で慎重派なアウグストゥス
・軍事的なことは盟友のアグリッパにお任せ
といったものが挙げられるのです。
特に、軍事的な成功面では軍師のアグリッパによるところが大きく、10代の頃からの彼との友情がアウグストゥスの成功のカギとも言えそうです。
きょうのまとめ
今回は古代ローマ帝国最初の皇帝、アウグストゥスついて、その生涯を主な功績やエピソードと共にご紹介してきました。
いかがでしたでしょうか。
何か新たな発見はありましたか。
最後に、アウグストゥスとはどの様な人物だったのかを簡単にまとめると
① ローマ帝国初代皇帝。
② カエサルの養子にして正当な後継者。
③ 内乱が続いた共和制を終わらせ内政に尽力し、「パクス・ロマーナ」をもたらした。
当サイトには、アウグストゥスについての名言の記事もあります。
興味のある方は、お時間のある時にでもぜひ覗いてみて下さい。
併せてご覧いただくことで、よりその人物像に近づけるはずです。
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