朝倉義景の家紋のルーツとは!?

 

朝倉義景(あさくらよしかげ)は戦国時代を語る上で、

はずせない人物です。

越前(えちぜん)の戦国大名で、

朝廷や天皇家と密接な繋がりを持つことで権力と地位を手に入れました。

そんな朝倉義景が使用した家紋は三盛木瓜紋(みつもりもっこうもん)と言います。

今回は朝倉義景の家紋について見ていきましょう。

 

朝倉義景の家紋について

朝倉義景の家紋とはどんなものか、いろいろと調べてみました。

三盛木瓜とは

朝倉家の家紋は三盛木瓜と言います。

木瓜(もっこう)はボケとも言い、バラ科の植物です。

春になると、紅白や淡い赤などの小さな可愛らしい花を咲かせます。

このボケの花を図案化したものを3つ重ねたことから、三盛木瓜と言われます。

三盛木瓜は大きく分けると木瓜紋と言うジャンルに属します。

木瓜紋は、家紋の中ではかなりメジャーな紋です。

藤紋・片喰紋(かたばみもん)・鷹の羽紋・桐紋・木瓜紋 」を五大紋と言い、

日本の家紋の中で特に多く使われている紋です。

木瓜紋は藤紋に継いで第2位です。

木瓜の花?瓜(ウリ)?鳥の巣?

先程、三盛木瓜紋はバラ科の木瓜の花を図案化したものと言いましたが、実は諸説あり、はっきりしないのです。

ウリを切った断面を図案化したものとも、鳥の巣を図案化したものとも言われています。

ウリや鳥の巣もそう言われてみれば、見えるような見えないような・・・

個人としては、花と言われるのが一番しっくりきますが。

木瓜紋を初めて使ったとされているのが、徳大寺実能(とくだいじ さねよし)という公卿です。

実能が何を思って木瓜紋を使ったのかは、彼本人にしか分かりません。

想像することしか出来ませんが、子孫繁栄(しそんはんえい)を願った家紋であると言われています。

どちらにせよ、一族に対して縁起の良い願いが込められた家紋であると言えますね。

三盛木瓜紋は頼朝が作った?

朝倉氏は開化天皇(かいかてんのう)の末裔とも孝徳天皇(こうとくてんのう)の末裔とも言われています。

どちらの天皇の末裔なのかは色々な説があり、はっきりとは分かっていません。

その末裔が日下部(くさかべ)姓を賜り、但馬(たじま)の国、現在の兵庫県で豪族として栄えたのが朝倉氏の始まりとされています。

日下部姓を名乗っていた時には、「 一つ木瓜紋 」を使っていました。

時の日下部家の当主、日下部高景(くさかべたかかげ)が源平合戦の時に平家に味方し、源頼朝(みなもとのよりとも)に領地を没収されてしまいます。

後に功績をあげて許されますが、その時に「 一つ木瓜紋 」に木瓜を二つ足すように命令され、三盛木瓜紋になったと言われています。

つまりは、「 頼朝が三盛木瓜紋を作った 」とも言えるのです。

まさか三盛木瓜紋のルーツが、あの有名な源頼朝だとは思いもしませんでしたね。

きょうのまとめ

朝倉義景の家紋のルーツについて見てきましたが、

いかがでしたか?

源頼朝という意外な人物にたどり着いて、私としてもびっくりしました。

朝倉義景に関して興味がある方は、是非他の記事もご覧ください。

 

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