朝倉義景が残した2つの辞世の句

 

越前の国を治めた名門・朝倉家11代当主であり、

信長包囲網の一角を担ったことでも有名です。

今回は朝倉義景が残した辞世の句についてご紹介したいと思います。

 

朝倉義景の辞世の句とは

朝倉義景が残したと言われる辞世の句は2つあります。

この2つの辞世の句は、まったく違う心情を詠んだものなのです。

どういうことか見ていきましょう。

朝倉義景の最後

朝倉義景は数あるチャンスを逃し、朝倉家を滅亡に追いやった人物として武将としての評価はあまり高くありません。

将軍・足利義昭が義景を頼って越前に逃れてきた時、将軍を伴って上洛する最大のチャンスでした。

しかし義景は義昭の救援を拒否します。

金ヶ崎の戦いでは、敗走する織田軍を追うのに躊躇し、信長を取り逃がしてしまいます。

一乗谷の戦いでは、武田信玄に出陣依頼を受け、織田信長を挟み撃ちする予定でしたが、積雪を理由に勝手に撤退してしまい、信玄から痛烈に批判されています。

このような数々の失態から、家臣の信頼を失い多くの離反者を出すこととなります。

信長との戦いに敗れ、命からがら一乗谷の城に逃げ帰った時には、20人程度の側近しか残っていなかったと言います。

最終的には、従弟であり重臣でもあった朝倉景鏡(あさくらかげあきら)に裏切られ、賢松寺で自刃(じじん)します。享年41歳でした。

七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空

義景の辞世の句のひとつが

「七転八倒 四十年中 無他無自 四大本空」

です。

この漢詩を日本語で読むと、次の様になります。

七転八倒(しちてんばっとう)、四十年中(しじゅうのうち)、無他無自(たなくじなく)、 四大本空(しだいもとよりくう)

七転八倒は「 混乱の甚だしいこと、苦しみを味わう 」といった意味、

四十年中とは「 四十年間 」という意味で、義景は41歳で自刃しているので自分の人生のことを指しています。

無他無自は「 他人も自分もない 」、四大本空は仏教で言う万物を構成する「 地・水・火・風 」には実体がない、つまりは空であると言う意味です。

混乱の甚だしい40年であったけれど、結局は自他の区別も無く、この世は空なのだ

現代語に要約すると、このような意味になります。

暗君と言われる義景ですが、彼なりにもがき苦しみ悩んでいた心情が伺えますね。

自分の最後に、すべては空だと悟ったのでしょうか。

かねて身の かかるべしとも 

かねて身の かかるべしとも 思はずば 今の命の 惜しくもあるらむ

先ほどの辞世の句が、悟りを開いたような、諦めにも似たような、少しネガティブなイメージなのに対して、こちらは自信に溢れた句となっています。

意味の捉え方には多少違いがありますが、一般的には次の様な意味とされています。

かつて私が行ったことを思い返してみれば、今命が尽きても惜しくは無い

この句の中の「 かつて私が行ったこと 」とは、信長包囲網を完成させたことです。

つまり、信長包囲網を完成させ、信長を散々苦しめることが出来たのだから、ここで死んでも命は惜しくないと言っているのです。

信長に攻められて、まさに命を落とそうとしている時に詠んだ句としてはかなり強気です。

最後の意地だったのかもしれませんが、猛将とも言えるような辞世の句です。

義景の新しい一面を見た気がします。

きょうのまとめ

朝倉義景の辞世の句について紹介しましたがいかがでしたか?

まったく異なるイメージを持つ2つの辞世の句を残した義景。

本当の義景の姿はどちらなのでしょうか。

もしかしたら、どちらも義景の本当の姿なのかもしれませんね。

 

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