劉邦と劉備という人物をご存知でしょうか。
劉邦は戦で負け知らずであった項羽を倒し、中国を統一して前漢の初代皇帝となった人物です。
彼と項羽の戦いについてはとても有名で、日本でも高校の教科書に漢文の教材として二人の物語が掲載されています。
日本でもほとんどの方が国語か世界史の授業で名前を聞いたことがあるくらい有名な劉邦ですが、劉備のほうはもう少し知名度が下がってしまうかもしれません。
今回はまず劉備について少し紹介してから、彼と劉邦の関係について調べたことをまとめていきます。
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劉備ってどんな人?
劉備は後漢から三国時代にかけて活躍した人物です。
幼い頃に父親を亡くして母親を支えながら暮らしている中で、武将達と知り合って交友関係を深め、黄巾の乱で自らも武功を立てていったという、苦労人の面も持っています。
そんな彼は、在位期間はとても短いながらも蜀漢の初代皇帝でもあるのです。
性格面については、
という記録が残っています。
また、従者には、諸葛亮、関羽などとても有能な人物や、腕の立つ武将からも慕われていたということもあって、「性格が善い人」というイメージが強いです。
劉邦と劉備の関係は?
劉邦(前漢を建国)
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文帝(劉邦の子)
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景帝(文帝の子)
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中山靖王劉勝(景帝の子)
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劉備
劉備は前漢の景帝の子である、「中山靖王劉勝の末裔」としても知られています。
前漢という国を建国したのは劉邦で、景帝の父親である文帝は劉邦の実の子供です。
景帝から見れば、劉邦はおじいちゃんということになります。
また、中山靖王劉勝はとても子だくさんで、孫もたくさんいたということで有名です。
彼にはなんと50人もの子供がいて、孫にいたっては100人以上もいたという説もあります。
そんな子だくさんの中山靖王劉勝の子孫と言われている劉備は、ずっと前の代までたどっていけば劉邦の名も出てくるような皇族の家系の一員なのです。
劉邦と劉備の共通点は?
とても善い人だった
劉備が劉邦の末裔であるということが分かったので、彼らの共通点について考えてみました。
二人に共通している点は、
「人として優れているという記述が残っている」
という点です。
劉邦も劉備も皇帝になっているので、あまり悪いところは書けなかったということもあるかもしれません。
劉備に関しては前に記載したように「他の人に丁寧な態度で接する」という記述が残っています。
劉邦が項羽に戦で勝つことができたのは、有能な部下達の助言をしっかり聞き入れる器の大きさがあったからです。
劉邦にも劉備にもとても有能で強い部下達がいたことが、二人が善い人だったということを表しているのではないでしょうか。
ピンチのときには怖い人だった
劉邦と劉備は善い人として知られている他、ピンチのときには凄い行動をとってしまう人だったという記録も残っています。
まず劉邦に関して怖いエピソードを紹介します。
彼は自分が皇帝になるまでは部下の助言もきちんと聞き入れることができる器量を持つ人物でした。
しかし、
・賢臣として知られていた部下達の地位を奪う
・自分の一族に権力を集める
という記述があります。
劉備に関しても怖い記述が残っているのです。
彼は曹操に戦で負けて逃げるときに、自分の妻と息子を置いて逃げようとします。
理由は
「足手まといだから」
だそうです。
結局、劉備の妻と息子は他の人の手を借りて何とか生き延びることができましたが、たくさんの記録で「善い人」とされている劉備の怖い一面がうかがえます。
きょうのまとめ
劉邦と劉備の関係についてまとめます。
① 血縁関係がある
② 「善い人」という記述が残っている
③ 「怒らせたら怖い」という記述が残っている
二人とも怒らせたら怖かったということも事実のようです。
とは言え、きちんと部下の話を聞くことができる、有能な部下や武将がたくさんいたということから、劉邦と劉備は「善い人」という面をきちんと持っていた人物ということになると思います。
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