保科正之は二代将軍・徳川秀忠の四男として生まれました。
正室・お江の方の子供ではなかったため嫉妬を恐れ、
江戸城に引き取られることはなく、出自を隠されて育てられました。
将軍の子として扱われなくとも、正之は腐ることなく真っ直ぐに成長します。
その真面目さが伺える、逸話をいくつかご紹介します。
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真面目な性格が伺える逸話とは
保科正之の逸話の中から、真面目な性格が伺える逸話をご紹介します。小さな嘘もならぬ
正之は兄の将軍・家光から江戸城に近い将軍家の遊猟地で鷹狩りを行うことを許されました。
鷹狩りを楽しんだ正之は、獲れた獲物を家光に献上するために江戸城を訪れます。
獲れた雁二羽を家光に献上すると、同席していた老中・酒井忠勝が
「遊猟地は鳥が多いから、たくさん獲物が獲れたでしょう。」
と訪ねます。
すると
と正之は答えます。
面白くなさそうな顔をした家光が退席すると、
酒井忠勝は
「おかげさまでたくさん獲れたから一部を持ってきた。とでも言えば良かったのに、正直に言いすぎではないか?」
と正之に苦言を呈しました。
正之はその言葉にこう答えたと言います。
この言葉を聞いた酒井忠勝は、正之の実直さに感動したと言います。
馬鹿正直で馬鹿真面目。
上手く言えばいいものを、将軍に嘘は言えないという正之の真面目さが良く分かる逸話ですね。
欲のない奥ゆかしさ
保科正之が自分の異母弟だと知った家光は、正之の行動を観察します。
将軍の弟だと言うことで傍若無人に振舞うようでは支障が出ると思ったのでしょう。
実際に同じ母を持つ弟、忠長は行動がエスカレートし、
100万石か大坂が欲しいと要求し、蟄居を命じられています。
正之も忠長と同じようになってしまったら大変という家光の気持ちも分かります。
しかし正之はいたって控えめな人物でした。
試しに家康の17回忌に日光までのお供に正之を指名します。
人も少ないことから、隙を見て「自分は将軍の弟だ」と自分の素性を明かしてくるだろうと思ったのです。
しかし、正之は一向に素性を打ち明ける様子はなく、
ただ末席に大人しく控えているだけでした。
家光は正之の欲のない奥ゆかしさに感服したと言われています。
「徳川の天下を支える人物になる」と正之の器量を見抜いたのです。
養父に敬意を払い生涯保科姓を通す
家光が自分の異母弟であることを認めると、正之は「松平姓」を名乗ることを勧められます。
しかし、今の自分があるのは養子として育ててくれた養父・保科正光や
保科家のおかげだとして、正之は生涯に渡って保科姓で通します。
保科正光は甥を養子として迎えており、その甥に家督を継がせるはずでした。
しかし将軍の子である正之を養子として迎えたことにより、
甥ではなく、正之に家督を相続させることになりました。
将軍の子だからと言って奢ることなく、しっかりと恩を感じていたんですね。
真面目で謙虚、正之の性格が分かるエピソードです。
きょうのまとめ
保科正之の真面目すぎる逸話をご紹介しましたが、いかがでしたか?
良い人過ぎてびっくりするぐらい、正之の人となりがよく分かる逸話ばかりでしたね。
これも養子先の保科家でしっかり育てられた賜物と言えるかもしれません。
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