1949年に中華人民共和国の建国を宣言し、
初代最高指導者となった人物、毛沢東。
彼が掲げたのは、格差がなく誰もが平等に暮らせる共産主義の世界。
しかしその実態は、毛沢東が主体となる帝国主義的な独裁の世界でした。
粛清の影が支配するなか断行された政策は、
平等とは掛け離れた恐ろしい結果をもたらすこととなりました。
今回は、そんな毛沢東の行った政策についてご紹介していきます。
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大躍進政策
毛沢東が実権を握った後に行った代表的な政策に、
「大躍進」というものがあります。
これは1953年~57年までに実施された第一次五ヶ年計画に次ぐ政策で、
1958年~61年まで続きました。
第二次五ヶ年計画として捉えることができます。
中国社会を共産主義的な仕組みにしていく政策で、
第一次でそれなりの結果を出すことに成功すると、
毛沢東は勢いに乗って第二次で大躍進政策に踏み切りました。
しかしこの大躍進政策こそ、国民を苦しめる歴史的な失敗を遂げることになるのです。
大躍進の始まり 第一次との違い
そもそも毛沢東が大躍進政策を掲げたのは、
中国が工業と農業の面からイギリスを追い抜くためでした。
第一次五ヶ年計画で工業化と農業の集団化に力を入れると、
第二次である大躍進政策では、製鉄、四害駆除、
そして農業を主な政策内容に加えました。
しかし第一次では模範にしていたソ連からの工業技術、経済援助に依存できた一方で、
大躍進政策の頃は中ソ対立が起きていたため、全て自国でまかなうしかありませんでした。
これが後に政策の結果に大きく響いてくることになるのです。
以下、それぞれの内容を詳しく見ていきましょう。
大製鉄運動の失敗
1958年、毛沢東は大量の鉄を作るために全国に溶鉱炉を作らせました。
しかしいざ鉄を作ろうとしたところで、製鉄のための正しい知識を持った専門家や施設はなく、
素人が何となくの感覚で作り始めることになったのです。
その結果、当然のように大量の粗悪品が出来上がりました。
そして次第に材料となる鉄鉱石が不足していき、作ることすら困難になっていきます。
それでも毛沢東の命令に背けば粛清という処分が待っているため、
とにかく鉄を作りまくるしかなく、人々は自宅にあったあらゆる鉄製品を溶かし、
それを材料にしたのです。
さらに、鉄を溶かす際に使う燃料確保のために、国中の木々が切り倒され、
その結果、中国では土砂災害や大洪水が頻繁に発生するようになりました。
四害駆除の失敗
毛沢東はさらなる発展を図るために、
人々に伝染病をもたらす害虫や、農作物に危害を及ぼす生物を駆除するよう命じました。
特にハエ、蚊、ネズミ、スズメがその対象になりました。
しかしハエや蚊はまだしも、スズメを大量に駆除してしまったことは、
結果的に農業に大きなダメージを与えることになりました。
スズメは確かに農作物を食べることもありましたが、
それ以上に農作物を食べる害虫を食べてくれていたのです。
農業の失敗
毛沢東は農業を行わせるために、各地に共産党員を派遣しました。
そして農作業を行う人々を集団生活させる「人民公社」という組織を作り、
各共産党員の指導の下、人々が協力して農作業をするようにしました。
しかし実際のところ、共産党員たちに農業に関する専門知識を持ったものはおらず、
加えて畑を耕すための道具類は全て前述した製鉄のために溶かされた後でした。
つまり人々は、乏しい知識のなか手作業で課せられたノルマを達成することになります。
おまけに共産主義の世界では、全て平等が原則です。
どんなに頑張ったところで、給料は皆と同じ。
これほどまでに最悪な条件が揃ってしまうと、
人々のモチベーションが低下するのはあっという間でした。
皆が人任せになり、ノルマには届かなくなります。
しかし粛清を恐れた共産党員たちが、ノルマを達成したと嘘の報告をすると、
毛沢東は順調に進んでいるのだと捉え、結果的にさらにノルマを増やしたのです。
大躍進政策 その悲惨な結果
木々が無くなり自然災害が増え、農作物の生産率は大幅に減少。
ノルマは増える一方で国民の食べるものはなく、
あるのは使い道のない大量の鉄ばかり。
大躍進政策が行われた4年間の間に、
5000万人近い人々が飢えのために命を落としました。
この歴史に残る大失敗をした毛沢東は、さすがに自分の非を認め、
その後、一度辞任することになったのです。
きょうのまとめ
今回は、毛沢東が行った大躍進政策についてご紹介しました。
いかがでしたか。
この政策について簡単にまとめると
① 中国を工業的にも農業的にも発展させ、イギリスを追い抜くことを目標に1958年~61年まで行われた政策
② 正しい知識のないまま大量の製鉄を行ったところ、粗悪品であふれ、工業化するどころか自然災害を引き起こすことになった
③ 四害駆除により、農作物を食べる害虫を食べていたスズメがいなくなり、結果農作物へのダメージが広がった
④ 正しい知識も農機具もなく、集団生活で給料も皆同じなかでの農作業は人々のモチベーションを下げ、ノルマばかりが増えるなか人々が食べるものはどんどん減っていった。
大躍進政策の失敗により一度は失脚した毛沢東。
しかし彼は、後に「文化大革命」によって権力の座に返り咲くのです。
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