山育ち木曽義仲の真骨頂。倶利伽羅峠の戦い
木曽義仲きそよしなかの対平家の戦さの中で、 一番知られたものがこの倶利伽羅峠くりからとうげの戦いでしょう。 1183年に越中(富山)・加賀(石川)国の国境にある砺波山となみやまの倶利伽羅峠で繰り広げられた木…
木曽義仲きそよしなかの対平家の戦さの中で、 一番知られたものがこの倶利伽羅峠くりからとうげの戦いでしょう。 1183年に越中(富山)・加賀(石川)国の国境にある砺波山となみやまの倶利伽羅峠で繰り広げられた木…
木曽義仲が琵琶湖のほとりで討ち死にした後、義仲の近親者たちにも命の危険が及ぶようになります。 記録は明確ではありませんが、義仲には4人の息子と1人の娘がいたとされています。 彼ら、そしてその子孫たちはどんな…
源平合戦において、源頼朝の敵は平氏だけではありませんでした。 なかでも頼朝と同じ源氏であり、戦功を争った木曽義仲との戦いはよく知られています。 そして今回の記事は、そんな義仲の嫡男・木曽義高きそよしたかにつ…
2024年の紙幣改定で5000円札の顔として選ばれ、 一躍注目をあびることになった津田梅子という女性がいます。 長いアメリカ留学を経て、日本とアメリカの女性の立場の違いを、 身を以て学んだ彼女は一体どんな人…
平安時代末期、平氏、源氏と並ぶ武家の一大勢力・奥州藤原氏を率いた 藤原秀衡ふじわらのひでひら。 源義経の育ての親となったり、源頼朝が武家政権を築くうえで、最後の敵として立ちはだかったり。 鎌倉幕府の創成期に…
伊勢・伊賀国の守護を任じられるなど、鎌倉幕府御家人でも源頼朝から特に厚遇された 山内首藤経俊やまのうちすどうつねとし。 実はその出世ぶりに似合わず、あまり優れた人物ではなかったという話もありますが…。 なぜ…
畠山重忠はたけやましげただは平安時代末期から鎌倉時代に活躍した武将です。 智勇に優れ、清廉潔白な性格だった彼は「坂東武士の鏡」と称されて現在も多くの人々に愛されています。 畠山氏には支流が多くありますが、こ…
鎌倉幕府御家人・工藤祐経くどうすけつね。 文化人としての素養から源頼朝に重用されたほか、一族間の壮絶な所領争いを展開したことで知られる人物です。 この所領争いを巡って『曾我物語』というひとつの作品が成立して…
伊豆国伊東荘の豪族・伊東祐清いとうすけきよ。 鎌倉幕府創成期としてはごくごくマイナーなこの人物ですが… 何を隠そう、流人時代の源頼朝を救った逸話があります。 父の伊東祐親すけちかは頼朝挙兵のときも敵として立…
「十三人の合議制」は、源頼朝みなもとのよりともの死後に嫡男頼家よりいえが第2代将軍となった時に始まりました。 どんなものだったのか、見て参りましょう。 十三人の合議制とは 十三人…