伊東祐清とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

伊豆国伊東荘の豪族・伊東祐清いとうすけきよ

鎌倉幕府創成期としてはごくごくマイナーなこの人物ですが…

何を隠そう、流人時代の源頼朝を救った逸話があります。

父の伊東祐親すけちかは頼朝挙兵のときも敵として立ちはだかったはずだけど…?

もちろん、祐清だって頼朝の敵です。

ただ、その経緯を辿ってみると、敵ながらにとても男気がある人だったりするんですよね。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、竹財輝之助さんに配役が決定。

伊東祐清とはいったいどんな人物だったのか、放送に先駆けてしっかりチェックしておきましょう。

 

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伊東祐清はどんな人?

プロフィール
伊東祐清いとうすけきよ

伊東祐清/菊池容斎画(明治時代)
出典:Wikipedia

  • 出身地:伊豆国田方郡伊東荘(現・静岡県伊東市)
  • 生年月日:不明
  • 死亡年月日:1183年6月(享年 不明)
  • 流人時代、誅殺されそうになった源頼朝を救った人物。頼朝軍に捕えられた際、その恩から褒美を与えられるも、辞退して平家方へ下った。
 

伊東祐清 年表

年表
西暦(年齢)
1175年(不明)父・伊藤祐親が源頼朝の誅殺を計画。祐清が頼朝の逃亡を助ける。

1176年(不明)工藤祐経すけつねとの所領争いに巻き込まれ、兄河津祐泰すけやすが死没。遺児の御房おんぼうを引き取る。

1180年(不明)平氏の兵として頼朝軍に捕えられる。かつての恩から頼朝に許されるも、平氏に従うべく上洛。

1183年(不明)北陸道の合戦で源義仲軍と戦い、討ち死にする。

 

伊藤祐清の生涯

伊東祐清の生涯にまつわるエピソードを紹介します。

源頼朝の逃亡を助ける

伊東祐清は、伊豆国伊東荘の豪族・伊東祐親の次男であること以外に、出自について詳しいことがわかっていません。

そんな祐清に関するエピソードで最初に登場するのが、

1175年ごろ、源頼朝が父祐親に命を狙われ、これを助けた

というものです。

平治の乱以降、源氏が衰退すると同時に伊豆へ配流となった頼朝は、当初、伊東祐親が領有する伊東荘へ預けられていたとされています。

このころ、頼朝は流人として暮らすなか、祐親の三女・八重姫と通じるようになりました。

頼朝と八重姫は祐親が在京中、留守のあいだに、千鶴丸という子を儲けます。

何も知らずに帰郷した祐親はこれを知ると、

「自身は平家の役人なのに、源氏の罪人である頼朝を婿にするなどとんでもない!」

と激怒。

ここから祐親は千鶴丸を川へ沈め、八重姫を別の男性に嫁がせたのち、頼朝のことを誅殺しようと企てるのです。

このとき、祐親の夜襲を、頼朝にいち早く知らせたのが祐清だったといいます。

祐清の妻は頼朝の乳母・比企尼ひきあまの三女で、このことから、祐清も頼朝を身内同然に慕っていたようですね。

軍記物『曾我物語』では、祐清が祐親のことをこんな風に罵っていたりも…

祐清
老いぼれの祐親が些細なことを大事に仕立て上げ、あなたを討ち果たそうと企てています!

父親を老いぼれ呼ばわりとは、なかなかに辛辣…。

まあ、幼児を川に沈めてしまうぐらいですから、言われても仕方がないと言えばそうなのですが。

これを聞いた頼朝は、

頼朝
逃げるといっても、伊豆国内に留まっていてはすぐに足がついてしまう…

と、難色を示します。

すると祐清は、自身の烏帽子親である北条時政に話をつけ、頼朝は北条氏に預かられる身となったのです。

(※烏帽子親…武士が元服(成人)する際に後見人になってくれる人のこと)

ちなみに、頼朝が逃亡を計ったとき、付き人のうち何名かは

「夜襲を企てておかれて黙っていられるか!」

と、自身の命を捨ててでも祐親に立ち向かおうとしたといいます。

その際も祐清は

祐清
平治の乱で負けたときも、命が助かったからこそ、今こうして再起を期することができるのではないですか!

と、生き急ぐ付き人たちを制止したという話です。

平氏の配下でありながらも、祐清自身は頼朝にかなりの思い入れがあったとわかりますね。

平氏の兵として頼朝軍に捕えられる

1180年になると、朝廷では平氏と後白河法皇が対立。

法皇の第三皇子・以仁王もちひとおうによって、全国の源氏へ平氏討伐の令旨が下されます。

これを受けて頼朝が挙兵すると、伊東祐親もその背後を狙う形で兵を挙げました。

祐清もこれに従ったと考えられます。

千鶴丸の一件では頼朝を支持した祐清でしたが、いざ平氏vs源氏の戦となれば、平氏に背くわけにはいかないのでしょう。

「石橋山の戦い」では、頼朝軍がまだ300人ほどの勢力だったため、大庭景親らとともに戦った伊東親子が、これを退けることに成功しています。

しかしその後、「富士川の戦い」で平家軍に合流しようとすると、あてにしていたはずの平家軍は敗走。

そのまま祐親、祐清は頼朝軍に捕えられてしまいます。

このとき、頼朝はかつての恩から祐清を許し、褒美まで取らせようとしたといいますが、祐清はこれを辞退。

祐清
父が頼朝殿の敵である以上、褒美を受け取るわけにはいきません

と言い、平氏に仕えるためにそのまま京都を目指したといいます。

そこからの動向については、同じ『吾妻鏡あずまかがみ』でも矛盾する記述があり…

・1182年、伊東祐親が罪を許されるも、頼朝に刃を向けたことを恥じて自刃。祐清も父に準じるべく、頼朝に死を願い出て誅殺された

・1183年、平家軍に従い、北陸で勢力を強めていた源義仲の討伐に向かい、その最中で戦死した

などと記されています。

祐親の自刃についてはそれ自体が壮絶な逸話なので、より盛り上げるために祐清の話が後付けされているような…。

なんとなく、平家軍に従って戦死したというほうが、頼朝の褒美を断って上洛したくだりから見て自然に感じます。

 

『曽我物語』の題材になった相続争いにも関係が?

伊東祐親という人物はなにかとトラブルメーカーだったようで、頼朝の一件以外にも、孫の代まで続く熾烈な相続争いを行っています。

この相続争いは『曾我物語』の題材になったもの。

間接的ではあるものの、ここにも祐清が関わっていたりします。

伊東荘を巡る相続争い

伊東荘は伊東祐親の所領となる以前、のちに幕府御家人としても重用される、工藤祐経すけつねを領主としていました。

本来の嫡流は祐親なのですが、祖父の代で養子に入った工藤氏に所領が相続されていたのです。

となれば、祐親としては

「嫡流はワシなのに…」

と、気に入らないのは当然のこと。

祐経の後見人となり、娘を嫁がせていた祐親は、祐経の在京中を狙って伊東荘を横領

次いで、娘を離縁させ、他家へ嫁がせてしまいます。

腹が立つ祐親の気持ちもわかりますが、親の代の相続争いを理由にこんなことをされては、祐経も黙ってはいません。

祐経は、祐親が狩りへ出かけたその帰りを狙い襲撃。

このとき、祐親は難を逃れたものの、長男の河津祐泰すけやすが命を落としてしまうのです。

祐清からすれば、兄にあたる人物ですね。

兄から引き取った遺児・御房

事件から間もなく、河津祐泰の妻は新しく男児を出産。

しかし夫を亡くした悲しみから、妻はこの男児を置き去りにしようとします。

このとき、

「幸い私たち夫婦には子がありませんから、どうしてもというなら私が引き取ります!」

と申し出たのが、祐清の妻だったというのです。

男児は御房おんぼうと名付けられ、このあと祐清のもとで養育されました。

その後、祐清が亡くなると、妻は鎌倉幕府御家人・平賀義信と再婚。

御房は平賀氏の養育を受けたあと、越後(現・新潟県)の国上寺へ出家し、律師りっしと名乗るようになります。

そして実のところ、御房にはふたりの兄がいました。

御房とは違い、母に連れられて曽我氏のもとで養育された曽我祐成すけなり時致ときむねの兄弟です。

この兄弟は1193年、「富士の巻狩り」にて、とうとう父の仇討ちを実行に移します。

事件のあと、頼朝は兄弟たちの事情を探るべく、御房にも鎌倉へ赴くようにお達しを出しました。

すると御房は

「兄たちは仇を討って死んだというのに、兄弟である私はどうして同じ場所で死ねなかったのだろう」

といい、自刃を遂げるのです。

頼朝はのちに、この兄弟の死を悔やみ、

頼朝
彼ら兄弟は勇猛であり、見苦しい振る舞いをする者は一人もいなかった。しかるべき恩賞を与えていれば、こんなことにはならなかったのだろうか…

と話したと記されています。

 

きょうのまとめ

源頼朝を救った結果、その温情を受けるも、自身の立場から従うわけにはいかず、悲しい結末を遂げることとなった伊東祐清。

その後、父祐親の代からの因縁は、養子の御房にまで引き継がれることとなりました。

報われないけど、どこか一本筋が通っていて、男気を感じさせる人物でしたね。

最後に今回のまとめ。

① 父祐親の源頼朝への襲撃を頼朝にこれを知らせ、伊東荘から逃亡させた

② 頼朝の挙兵後は、平家方の兵として戦い、頼朝軍に捕えられた

③ 伊東荘の相続争いで命を落とした兄祐泰の遺児・御房を引き取り養育

曽我兄弟の仇討ちには、重臣の工藤祐経を退け、御家人としての地位を牛耳ろうとした北条氏の陰謀という説もあります。

大河ドラマでは北条氏が主役なので、この辺りがどう描かれるのかも注目ですね。

【参考文献】
『曾我物語』新編日本古典文学全集|訳・梶原正昭、大津雄一、野中哲照
Wikipedia/伊東祐清
Wikipedia/比企尼の三女

 
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