木曽義高とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

源平合戦において、源頼朝の敵は平氏だけではありませんでした。

なかでも頼朝と同じ源氏であり、戦功を争った木曽義仲との戦いはよく知られています。

そして今回の記事は、そんな義仲の嫡男・木曽義高きそよしたかについて。

義高は、頼朝vs義仲の緊張状態を解決するため、鎌倉方に預けられた人質です。

その行く末には待っていたのは、悲劇、そして悲恋でした。

2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、八代目・市川染五郎さんが配役に決定!

放送に先駆け、義高がどんな人物だったのかしっかりおさらいしておきましょう。

 

木曽義高はどんな人?

プロフィール
きそよしたか みなもとのよしたか

出典:Wikipedia
木曽義高

  • 出身地:信濃国木曽谷(現・長野県木曽郡木曽町)
  • 生年月日:1173年
  • 死亡年月日:1184年6月6日(享年12歳)
  • 信濃源氏の武将・木曽義仲の嫡男。和議のため鎌倉方の人質となり、義仲の没後に誅殺された。

 

木曽義高 年表

年表
西暦(年齢)

1173年(1歳)信濃源氏の武将・木曽義仲の嫡男として生まれる。

1183年(11歳)父義仲が源頼朝と対立。和議のため義高が鎌倉へ差し出され、頼朝の長女・大姫の許婚いいなずけとなる。

1184年(12歳)父義仲が朝廷の逆賊として討たれ、義高の鎌倉での立場が危うくなる。大姫の助けで逃亡を図るも、追手によって誅殺された。

 

木曽義高の生涯

以下より、木曽義高の生涯にまつわるエピソードを紹介します。

木曽義仲・源頼朝の対立

1173年、木曽義高は、信濃源氏の武将・木曽義仲の嫡子として生を受けました。

父義仲は武蔵国を拠点とした源義賢よしかたの子ですが、義賢は所領争いの末、源義平(源頼朝の兄)に討たれることに。

幼少の義仲はその後、信濃国木曽谷へ逃れて養育されたため、木曽姓で呼ばれるようになりました。

源頼朝と義仲はそもそも従兄弟の関係にあるものの、前述の同族争いによってわだかまりがあります。

そして1183年、そんなふたりの関係を一気に緊張状態にする出来事が起こるのです

平氏討伐を掲げた頼朝が鎌倉で勢力を広げるなか、同じ源氏でこれに従わない者も多くいました。

頼朝の叔父にあたる、志田義広、源行家などです。

彼らは頼朝に従わないばかりか横領行為も働いていたため、頼朝がこれを叱責。

憤慨した叔父たちは戦を起こすも、返り討ちに遭い、義仲を頼って逃げてきます。

義仲はこれを受け入れたため、頼朝に睨まれ、あわや一触即発の状態となってしまうのです。

しかし頼朝も義仲も、平氏討伐に向かう気満々で準備を進めていたわけですから、同族で争っている場合ではりません。

そこで、和議のために嫡男の義高が、頼朝方へ人質として差し出されることになります。

「父上のためなら、どんな苦労も厭いませぬ」

大河ドラマの公式発表で、すでにこんなセリフが出されていますが、実際のとこ、義高はどんな気持ちだったんですかね。

まだ11歳の子どもですし、訳も分からないまま鎌倉へ向かわされた可能性も…。

義高の逃亡劇

義高が人質となったのち、源氏による平氏討伐は予想外の展開を迎えます。

父義仲は、頼朝より一足早く上洛し、京都の平氏を一掃しました。

しかし、

・義仲の京都での素行の悪さ

・中国地方へ逃げた平氏の追討がうまくいかなかったこと

などで、次第に後白河法皇と対立

1184年、頼朝は法皇から義仲討伐を求められ、源範頼のりより、義経らを京都へと派遣するのです。

結果、範頼、義経軍に挟み撃ちにされた義仲は近江国粟津(現・滋賀県大津市)にて討ち死に

となると、人質として差し出されていた義高は、もう用済みになってしまいますよね。

また頼朝は、朝敵となった義仲の息子を抱えていると、あとあと都合が悪いとも考えたのでしょう。

ここから、義高の誅殺を企てるのです。

これを知って動いたのが、頼朝の長女・大姫でした。

義高は人質となる際、大姫の許婚いいなずけとなる体をとっており、このときふたりのあいだにはすでに絆が芽生えていたようです。

大姫は頼朝が誅殺を企てていることを義高に知らせ、鎌倉から逃がそうとします。

大姫自身が考えたのか、周りの助言があったのかはわかりませんが、逃亡に際してはかなり念入りな工作も行われました。

・義高を女装させ、大姫の侍女に紛れる形で出奔

・逃亡用の馬の足音が響かないよう、ひづめに綿を巻き付ける

・義高の信濃時代からのお供・海野幸氏が影武者として鎌倉に残り、カモフラージュ

しかし、結局はすぐにバレてしまい、怒った頼朝は側近の堀親家ほりちかいえらを追手として差し向けることに。

武蔵国で追いつかれた義高は、堀の郎党・藤内光澄とうないみつずみによって誅殺されてしまいました。

義高が没したあと、大姫はそのショックから病床に伏せるように。

頼朝の妻・北条政子は

政子
大姫が病気になったのは、あなたが義高を殺させたせいだ

と、頼朝を責めたといいます。

ここからがちょっと変な話で、政子に責められた頼朝は、なんと義高を討った藤内光澄を処刑するのです。

いやいや、あんたが命令したんだろ…。

どうにも不自然で、史実かどうか怪しい部分もありますね。

義高は生き延びていた?

誅殺された義高と、命じられて誅殺したはずなのに、それを理由に処刑されてしまった藤内。

このことに対して辻褄が合う伝承が、現在の栃木県佐野市に伝わっていました。

誅殺されたのは実は身代わりで、義高自身はこの地に逃げ延び、在地の豪族・佐野基綱に保護されたというのです。

これが本当だとしたら、藤内は義高を誅殺した罪ではなく、義高を取り逃がしてしまった罪で処刑されたということになりますよね。

その後、義高は佐野基綱の娘を妻にもらい、相当に大事にされていたという話も。

義高を逃がすために尽力した大姫はこのあと回復せずに病没しているので、なんだか不憫な気もしますが…。

1220年には、北条政子がこの地を訪れ、義高を訪ねたともいわれます。

再会したふたりは、大姫と過ごしたときの思い出話に花を咲かせていたのかもしれませんね。

 

物語としての木曽義高

義高と大姫の悲恋は、後世で物語の題材としてたびたび取り上げられています。

これらの作品群は義高が清水冠者しみずのかじゃと呼ばれていたことから、『清水冠者物語』と題されました。

軍記物などではありがちな話ですが、清水冠者物語では、史実に脚色が加えられた部分が多々見られます。

おもしろいのでいくつか抜粋してみましょう。

・逃亡した義高の行先を暴くため、大姫の侍女がものすごい拷問を受けた

・義高は差し向けられた追手を一度返り討ちにしている

・義高はその場で誅殺されず、鎌倉まで連行されたあと、斬刑に処された

・処刑を行った者は、いたたまれず切腹した

・大姫は病気になったのではなく、義高の後を追って自害した

などなど、史実の何倍も壮絶なんですよね。

一番のツッコミどころは、義高が追手を返り討ちにしたというもの。

何度も言うように、まだ子どもですからね!?

とはいえ、それぐらいの気概をもった少年であったというほうが、物語が盛り上がることには納得。

大河ドラマの義高も、こんな感じでたくましい少年に描かれるのかもしれません。

 

きょうのまとめ

源氏同士のいがみ合いに巻き込まれ、あまりにも短く、悲劇的な生涯を送ることとなった木曽義高。

病に伏せてしまうほど彼を想っていた大姫の健気さが、より感傷を引き立てますね。

最後に今回のまとめです。

① 源頼朝と対立した志田義広らを庇護したことで、木曽義仲と頼朝が一触即発の状態に。和議のために息子の義高が人質となった。

② 義仲が朝敵として討たれたことで、義高の鎌倉での立場が危うくなる。許婚の大姫の助けで逃亡するも、追手によって誅殺された。

③ 栃木県佐野市には、義高が逃げ延び、この地で過ごしたという伝承がある。佐野基綱のもとで保護され、のちに北条政子の訪問も受けた。

武士の時代には、同盟のために人質を出すことが多々あります。

敵地で過ごさなければいけないなんて、当事者としては生きた心地がしないですよね。

そんな義高の暮らしのなかで、訳ありでやってきた自分を大事に思ってくれた大姫の存在は、大きな救いになっていたのではないでしょうか。

【参考文献】
Wikipedia/源義高(清水冠者)

最終回 木曽義仲の嫡男義高の伝説|くまがやねっと情報局
https://www.kumagayakan.net/info/now/menuma1802.html

東京大学附属図書館蔵『清水物語』と時衆|砂川 博
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbungaku/37/8/37_KJ00009875228/_article/-char/ja/

木曽義高の誅殺…義高と大姫|武家の都を創った源頼朝
https://sites.google.com/site/yoritomo4649/home/yoritomo-kassen/yosinaka-metubou/yositaka-tyusatu[/box]

 
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