「 水戸黄門 」と「 忠臣蔵 」。
どちらも有名な時代劇ドラマですね。
もしかしたら、柳沢吉保の名前をこれらの時代劇の登場人物として知った方もいるのでは?
なんせ彼は、これらの劇中で第5代将軍徳川綱吉と一緒にやーな悪役として活躍していますから・・・。
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吉保はなぜ将軍綱吉とセットのワルなのか?
柳沢吉保は上野国館林藩の小姓にすぎませんでした。
主君であった徳川綱吉に気に入られ、
彼が第5代将軍となった後も寵愛を受けて大老格にまで出世しました。
吉保の政治的手腕が優れていたとしても、
綱吉の偏愛がなければ、彼の出世はなかったと思われます。
綱吉は、文治政治を推し進めたことを評価される一方、極端な考え方の生類憐れみの令を発布。
彼自身の母親への孝行と称した特別な計らいと共に、その治世の後半に起きた自然災害が民衆を苦しめ、決して評判のよい将軍ではありませんでした。
彼が敵視されれば、くっついている柳沢吉保も同様に見なされます。
二人は悪者タッグチームとして認識されることもあったのです。
柳沢吉保と「 水戸黄門 」ドラマ
まずは、「 綱吉の側用人・柳沢吉保 」 Vs 「 天下の副将軍・水戸黄門 」について見ていきましょう。
「 水戸黄門 」ドラマにおける柳沢吉保
ドラマの中の柳沢吉保は、各地の藩の悪人と手を組んでは賄賂を貰い、藩の改易を狙うなど、まさに「 お主もワルよのお 」的悪役。
水戸藩の藤井紋太夫(ふじいもんだゆう)を操って水戸藩乗っ取りを企て、水戸(徳川)光圀を苦境に追い込もうとして失敗し、彼の主君である綱吉に叱責されることもありました。
とにかく黄門さま(水戸光圀)の命まで狙う汚い政治家としてシリーズ中たびたび登場します。
最後にはいつも黄門さまにぎゃふんと言わされるんですが。
水戸光圀と柳沢吉保、どっちがエライ?
よく耳にするのがこの疑問です。
ドラマで水戸黄門は「 天下の副将軍 」。
悪役柳沢吉保は最後に水戸黄門にやり込められるので、光圀のほうがエライかんじです。
では実際はどうでしょう?
水戸光圀は徳川将軍家に次ぐ地位のある徳川御三家の一つ、水戸家の当主でした。
柳沢吉保は、徳川幕府で将軍の「 側用人 」で彼の地位は譜代大名かそのちょっと上程度。
「 御三家 」と比べると、格がぐっとさがります。
しかし、それは「 格 」のハナシ。
柳沢吉保には政治を実際に動かすことができる幕府での強い権限がありました。
水戸家は血統的にはスゴくても、政治組織の中には組み込まれていないため、幕府への発言力はゼロ。
そもそも「 副将軍 」なんて役職は幕府にはないんです。
結局、血筋的に尊ばれるのは水戸家当主・水戸光圀ですが、政治力は柳沢吉保にありました。
なぜ水戸光圀 Vs 柳沢吉保の構図になった?
「 水戸黄門 」の話しは、江戸後期の講談師が『 東海道中膝栗毛 』などの滑稽話を参考にして『 水戸黄門漫遊記 』を創作したのが始まり。
白髪と頭巾姿で諸国を行脚し、お上の横暴から町人や百姓の味方をする黄門漫遊譚は、講談や歌舞伎の題材としても大変な人気でした。
この流行の背景には、
水戸藩9代目の藩主水戸斉昭(なりあき)の工作があったそうです。
実子である一橋慶喜(よしのぶ)を将軍職に就けたい彼は、水戸家の血統の正当性を主張するため、水戸光圀が「 天下の副将軍 」だと広めようとしたのだとか。
ドラマには史実も含まれています。
水戸光圀が、綱吉や吉保に対してズバズバと意見や文句を言う性格だったという事実は、ドラマの根幹となっています。
また、劇中の水戸家の裏切り者藤井紋太夫は、実在の水戸家の家老。
光圀に重用されながらも、光圀失脚を画策する柳沢吉保に内通したために、本当に光圀に刺殺されたと言われます。
ドラマの中での水戸光圀と柳沢吉保の対立は、これらのいくつかの事実を膨らませた結果のようです。
柳沢吉保と「 忠臣蔵 」
吉保は、「 忠臣蔵 」でも悪い奴です。
「 忠臣蔵 」における柳沢吉保の役どころ
全ての発端の、1701年の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)による吉良上野介への江戸城松の廊下での刃傷事件。
殿中で抜刀し、斬りつけたことは重罪でした。
幕府は
「 吉良上野介にはお咎めなし、浅野内匠頭の即日切腹、お家取りつぶし 」
と決定します。
この決定について不満を持った人々にとっては、刃傷事件の当該者である吉良上野介とともに、その決定を下した幕府の代表として将軍綱吉や側用人吉保も憎むべき相手となりました。
そのため、忠臣蔵のドラマや小説の傾向としては、まず、柳沢吉保が吉良に「 浅野をいじめてしまえ 」と示唆して確執を起こさせ、上野介の挑発で内匠頭が事件を起こすと、即日切腹を命令するという冷酷な事件の黒幕的存在として描かれました。
史実として吉保は何をしたか
浅野内匠頭の切腹や赤穂浪士たちの討ち入り後の切腹処分決定には、もちろん将軍綱吉や側用人吉保も関わりました。
例えば、浅野内匠頭の切腹に立ち合った多聞伝八郎著の『 多門伝八郎筆記 』には、柳沢の指示により浅野の即日切腹と吉良の無罪放免が決まったと書かれてあります。
ただし、この記録の信憑性については疑問が残るとされています。
また、一方で『 浅吉一乱記 』には柳沢吉保が吉良上野介に切腹を申しつけたともあります。
上野介自身も妻や上杉家から切腹を勧められたりしていたようです。
世間も幕府も「 喧嘩両成敗 」として吉良家を処分するかどうかで揺れていたのは事実でしょう。
柳沢吉保が特に悪意を持って浅野家側を処分した証拠はありません。
例え彼が、浅野内匠頭の即日切腹や赤穂浪士の切腹処分の判断に関わっていたとしても、それは悪意というよりは綱吉の政治判断に従ったものではないでしょうか。
おわりに
テレビの「 水戸黄門 」や「 忠臣蔵 」は史実の一部を借りてきたフィクションです。
そして江戸時代を舞台にしたおとぎ話をおいしく仕上げるには、柳沢吉保や徳川綱吉というスパイスが必要なんです。
お気の毒ではありますが、この二人には「 安定の悪役 」ということで、まだ需要がありそうです。
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