1941年、アメリカとの太平洋戦争に際し、真珠湾攻撃・ミッドウェー海戦などの指揮を執った連合艦隊司令長官
山本五十六。
今回は山本五十六の名言の数々を辿っていきましょう!
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山本五十六の名言
五十六はその死後、海軍将官においては最高位にあたる元帥海軍大将の称号を与えられた人物で、その勇姿は今もなお称えられ続けています。
彼はどれほど優れた将官だったのか。
私としては五十六の優れていたところは、部下を想う心だと感じます。
五十六の残した名言を辿っていると、単に将官としての手腕だけでなく、部下に対する温かな人間味が伝わってくるのです。
上司の立場にある人にとっては良い指標に。
そうでない人でも、五十六の言葉は強く勇気付けてくれます。
そして、五十六が戦争の真っ只中に身を置きながらも、どれほど平和を願っていたか。
今回はその名言を通して感じてみてください。
上官としての五十六の名言
「やってみせ」
やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。
五十六の名言としては一番有名な「やってみせ」ですね。
自分がやってもいないのに言葉だけで叱っても、たしかに説得力はありません。
まずは自分がちゃんとできているかどうかで、部下に指示するのはそれからの話…という感じでしょうか。
このやってみせの姿勢に関して、五十六にはこんな逸話があります。
1928年、五十六が多段式空母「赤城」の艦長をしていたときの話。
職務に差し支えがあると判断されたのか、五十六の部下が禁煙を宣告されたことがありました。
このとき部下は禁煙を命じられたことに不満を感じ、宣告を無視してタバコを吸い続けます。
すると五十六は
「私もタバコは好きだが、君ばかりに止めてはおかぬ」
と言い、自らもタバコを吸うのを辞めたのです。
五十六は大の愛煙家で、息子の義正さんも書斎にタバコの匂いが染み付いていたことを語っています。
タバコを吸っている人なら、五十六が部下に先立って禁煙したのが容易なことではないと、よくわかるのではないでしょうか。
そしてあまり知られていませんが、「やってみせ」の名言にはこんな続きがあります。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
自分がやってみせるだけではなく、部下の言い分にもよく耳を傾け、認めること。
自分を手本に奮闘している部下に感謝の念をもつこと。
部下が指示に従うのは当たり前のことではなく、ありがたいことであるという、五十六の考えが感じ取れます。
いくら部下だとはいえ、指示を受けてどう動くかはその人の意志次第。
無理矢理言うことを聞かせても良い結果には繋がらないと、五十六は肝に銘じていたのでしょう。
不満に耐えることこそが男の修行
苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。
これらをじっとこらえて行くのが男の修行である。
世の中には常に不満があふれているものです。
仕事が大好きな人だって出勤するのが憂鬱なことはあるし、学校の成績が良い人でも、好きで勉強をしているという人はそんなにいないでしょう。
ただ…大きな成果を残せる人というのは、多くの場合、そういった不満に立ち向かえる人です。
不満に耐える力、不満をはね返す力を養っていくことが、自身を磨くなによりの方法なのです。
一見、好きなことばかりやって成功しているように見える人でも、実は人並み以上に苦しい思いをしているものではないでしょうか。
シンプルに見えて、「これぞ!」というべき名言ですね。
若者がものを知らないのは当たり前のこと
実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。
なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。
今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。
その若者が、こうして年を取ったまでだ。
「今どきの若いヤツは…」って、ほんとによく聞いたセリフですよね。
年長者が若者を「なってない」と見なす風潮は、やっぱり五十六の時代からずっとあったのです。
これだけずーっと続いている風潮なのですから、やっぱりこのとき若者をとやかく言っていた年長者も、若いころは大人たちからとやかく言われていたはず。
みんな同じです。
若者がものを知らないことは、いうなれば当たり前のことです。
だって、彼らはまだ社会に出てきて間もないのですから。
経験を積んだ大人たちは頭ごなしに否定するのではなく、マズイことがあれば教えてあげるのが役目だといえます。
否定するだけでは、その若者たちはいつまで経っても「今どきの若いヤツ」のままではないでしょうか。
そしてこの名言はこう続きます。
だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。
そう、若者というのは自分たちが育った時代とは、また違った感性をもっています。
その可能性を認めて伸ばしてあげれば、きっと未来に新しいものが生まれるはずです。
五十六のような上司をもてば、多くの人がイキイキと働けそうですね。
平和を願う五十六の名言
五十六は戦争を指揮した人物でありながら、誰よりも平和を願っていた人物でもありました。
戦争に反対の意志をもちながらも、戦争をしなければならない…。
続いてはそんな彼の、苦渋の心境が伝わってくる名言を紹介します。
「アメリカを逆なでしてはいけない」と、日独伊三国同盟に反対した五十六
内乱では国は滅びない。戦争では国が滅びる。
これは第二次世界大戦にて、日本がドイツ・イタリアと「日独伊三国同盟」を結んだときに五十六が言った言葉です。
五十六はアメリカを敵に回してしまうことを懸念し、兼ねてからこの同盟に反対していました。
しかし国内の戦局予想はヨーロッパ全域を支配しつつあったドイツに傾いており、
「ドイツを味方に付ければ、アメリカなんか怖くない!」
という風潮のなか、同盟が結ばれる運びとなったのです。
ドイツとの同盟に賛成する者が多いなか、同盟を辞退すれば内乱に発展しかねないと、政府は理由付けをしていたわけですね。
しかし五十六からすれば、「国内で対立してでも、アメリカを逆なでするようなことはしないほうがいい」という意見でした。
身内同士の争いというのは、大抵小競り合いで済みますが、敵国となれば、国を守るために本気で潰しに来るわけですから、日本は壊滅しかねない。
被害が多くなるほうを選んだ政府の選択を、五十六は憂いていたわけです。
犠牲を出してしまったのはすべて自分の責任と捉える五十六
ああ われ何の面目ありて見えむ大君に
将又逝きし戦友の父兄に告げむ言葉なし
いざまてしばし若人ら死出の名残の一戦を
華々しくも戦ひてやがてあと追ふわれなるぞ
戦場に身を置く最中の五十六の心境を記した名言です。
「大君」というのは天皇陛下のこと。
つまり
「自分は戦争の指揮を執る長官として、多くの犠牲を出してしまった。天皇陛下にも、犠牲になった部下の家族にも会わせる顔がない。自分も華々しく戦って、すぐに後を追おう。」
という意味になります。
五十六としては、アメリカとの戦争も自分の意志とは裏腹で、仕方なく行ったこと。
それでも犠牲が出てしまった責任は自分にあると受け止め、死を賭して戦うことで報いようとしたわけですね。
きょうのまとめ
山本五十六の名言からは、部下と自分を対等と捉え、なにより平和を願った彼の人柄がにじみ出ていました。
思惑とは違う方向へ国が動いていくなか、少しでも犠牲を減らすため、戦場で指揮を執り続けたその偉大さを感じてもらえていれば幸いです。
最後にまとめをしておきましょう。
① 有名な「やってみせ」の名言には、部下に先立って禁煙をした五十六の実例がある。
② 五十六の部下に対する態度の神髄は「認めること」「従ってくれるのが当たり前と思わないこと」にある
③ 五十六は常に犠牲の少ないほうを選ぼうとしていた。しかし犠牲が出た際もそれは自分の責任として受け止めた。
それなのに五十六に名言がこれだけ残っているというのは、やはり彼が影響力の強い将官であった証拠ですね。
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