壮絶な最期を遂げた長官・山本五十六の死因には諸説あり?

 

太平洋戦争において連合艦隊司令長官を務めた

山本五十六やまもといそろく

1943年4月18日、パプアニューギニア・ソロモン諸島に属すブーゲンビル島上空にて、アメリカ軍の襲撃を受け、戦死しました。

この一件は「海軍甲事件」と呼ばれ、当時の日本に衝撃を走らせました。

五十六の戦死は当初、日本軍全軍の士気に影響するとされ、口外が固く禁じられたほど。

そして、それほどの影響力をもつ人物だったためか、その死因にしても

「実は墜落時点では生きていたのでは?」

などと諸説がささやかれています。

五十六はいったいどのような最期を遂げたのか…。

今回はそんな彼の死因を中心に、事件の一連の流れを追ってみましょう。

彼が当時の日本やアメリカにおいてどれほど大きな存在であったか、伝わってくるはずです。

 

太平洋戦争にて壮絶な死を遂げた山本五十六

山本五十六

山本五十六
出典:Wikipedia

どうして長官である五十六が都合よく、アメリカ軍に狙い撃ちされることになったのか…普通はそこまでの重要人物なら固く守られているはずですよね。

そう、アメリカ軍が五十六を狙い撃ちにできたことにも理由があります。

まずは襲撃の背景を辿ってみましょう。

暗号電報が盗まれ、少数で行動することが筒抜けに…

事件が起こる2日前の4月16日のこと、日本海軍は連合国艦隊を攻撃する「い」号作戦を成功させ、戦局的には「とりあえず一段落」という状況下にありました。

そしてこのことを踏まえてか、4月18日に向けて、五十六はソロモン諸島内のブーゲンビル島・ショートランド島に基地を構える兵を労う計画を立てていました。

当時この辺りの制空権は日本が抑えていたため、注意を払っていれば、少数の部隊で向かっても大丈夫だろうと考えられていたのです。

しかし…そんな油断もあって、なんと計画を伝える暗号電報がアメリカ海軍に盗み取られ、五十六が少数でブーゲンビル島にやってくることが筒抜けになってしまいます。

なんでも日本軍は二週間前に暗号の乱数表を更新していたものの、このときは古いほうの乱数表を使って暗号を送ったとのこと。

これによって、すでにその乱数表を解読していたアメリカに、情報を読み取られてしまったわけですね。

こうして迎えた4月18日7時33分、護衛を含む計8機でブーゲンビル島へ向かった五十六は、アメリカ軍機16機による襲撃を受け、撃墜。

そのままジャングルへ落ち、姿を消すことになります。

捏造された?五十六の死因

さて、問題は五十六の死因についてです。

これに関しては日本国内で意見がわかれ、論争を呼びました。

事件後の検死報告では五十六は

「戦闘機の機関銃で頭を撃ち抜かれて即死した」

とされています。

しかし第一発見者をはじめ、現地へ向かった部隊の隊員たちは、この発表に揃って異論を唱えたのです。

その理由はざっと以下の通り。

・アメリカ軍の使ったP38機の機関銃は12.7mm砲4つに、20mm砲1つという装備。命中していれば頭はほとんど吹き飛んでいる

・そもそも頭部には銃痕すら残っていなかった

・周囲の遺体はウジが湧いていたが、五十六の遺体にはウジが湧いていなかった

こういった目撃情報から、五十六は墜落した当初、まだ生きていたのではないかといわれているのです。

そもそもジャングルに墜落したのも機長のとっさの判断による不時着で、これによって五十六は一命を取り留めていた可能性があります。

また機内から座席ごと運び出された五十六に、同乗していた軍医長が歩み寄ろうとした痕跡もあり、現場ではなんとか彼を救おうという動きがあったこともわかります。

こうしたことから、五十六の死は内臓破裂全身打撲によるもので、機関銃に撃ち抜かれたと発表されたのは、壮絶な死を演出するための捏造だといわれているのです。

五十六の英雄像を作り上げるためのものか…、それとも、アメリカの放った銃弾を直接の死因にすることで、日本兵たちの憎しみを引き出そうとしたのか…。

真意はわかりませんが、当時の日本軍での五十六の影響力がよくわかる話ですね。

 

アメリカ軍から見た五十六の死

アメリカ側の反応を見てもまた、五十六の影響力がどれほど恐れられていたかがわかって興味深いです。

なんでも五十六がブーゲンビル島へやってくる暗号が解読された当初、襲撃作戦を決行するかどうか、アメリカ側ではかなりの論議がもまれたのだとか。

理由は五十六を殺害することによって、日本側の怒りを大きく買い、逆に士気を上げてしまうのでは…?という懸念からでした。

作戦決行にあたってもルーズベルト大統領の許可が必要になるぐらい、大きな問題だと捉えられていました。

戦争では何万という死傷者が出るのに、一人に対してこの注意の払い方は明らかに異様です。

襲撃成功後も故意に五十六を狙ったことを知られないよう、アメリカ側は、襲撃はたまたま沿岸監視員が五十六たちを発見した結果だとしています。

それほどまでに真珠湾攻撃という作戦は優れており、立案者の五十六はその影響力をアメリカから恐れられる存在になっていたのです。

アメリカ軍が五十六の襲撃作戦に付けた名前は「ヴェンジェンス作戦」。

その意味は「報復・復讐」です。

大国アメリカを震え上がらせた五十六はやはり、近代戦争において稀に見るレベルの名将だったといえますね。

 

きょうのまとめ

長官としての手腕をアメリカから恐れられ、日本においてはその死因を捏造されるほど。

海軍甲事件の背景を辿ると、太平洋戦争において山本五十六がどれだけのキーパーソンであったかが浮き彫りになってきました。

最後に今回のまとめをしておきましょう。

① 山本五十六は太平洋戦争において、アメリカ軍に暗号電報がもれたことで狙い撃ちにされ、その生涯を終えた。

② 五十六は墜落後しばらく生きていたが、壮絶な死を演出するため、即死が捏造されていた?

③ 真珠湾攻撃を立案した五十六の手腕は、アメリカ軍から相当な脅威と捉えられていた。

ちなみにアメリカでは戦後の調査によって、五十六が本当は戦争を望んでいなかったこと、真珠湾攻撃も苦肉の策だったことが知られ、悪い印象をもつ人も減ったようです。

五十六は本来、兵を労うために真っ先に戦線へ足を運ぼうとする、温かみをもった人。

アメリカにもそういった彼の人柄が伝わったと思うと、少し救われた気持ちになります。

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