子孫たちから感じる山本五十六|子や孫に慕われる父の姿

 

第二次世界大戦において、太平洋戦争の前線で指揮を執った連合艦隊司令長官

山本五十六やまもといそろく

イギリスやアメリカと争うことに疑念を抱きながらも、国の方針に従い最善を尽くした海軍の勇士です。

五十六は優秀な指揮官であると同時に、部下想いの長官であった逸話もたくさん残しています。

ブーゲンビル島上空で襲撃に遭って戦死した際も、前線で戦う兵を労うために赴いていたといいますし…。

情の厚い五十六のこと、家族からしても良き父だったのでしょう。

子孫たちの背景を辿ってみても、その尊敬の念は垣間見えます。

今回はそんな山本五十六の子孫たちについて、掘り下げて探っていくことにしましょう。

 

山本五十六の子孫たち

山本五十六

山本五十六
出典:Wikipedia

五十六には、合計4人の子どもたちがいました。

兄弟構成は2男2女。

いずれも著名人とはいえませんが、なかでも知られている人といえば、著書『父・山本五十六』を残した長男・山本義正さんでしょう。

長男の山本義正さん

父の意志を引き継ぐ

五十六は約4年半、アメリカへの駐在をしていた経験があり、渡米する前から、非常に熱心に敵国の研究をしていました。

本棚のほとんどをアメリカの歴史書などが埋め尽くすなか、長男の義正さんもそれらを読んで育ったという逸話があります。

そんな義正さんの経歴は、東京帝国大学農学部を経て院生になり、その後、製紙会社に務めるという、ごく一般的なもの。

こう見ると五十六とは違い、海軍とは関わりがなかったのだな…と思わされます。

しかし実は義正さんにも、軍人を志した経緯がありました。

彼は中学卒業時、父の願いもあって海軍兵学校を志願しているのですが、視力や健康状態の問題から叶わず、別の道を辿ることとなったのです。

その後、高校在学中に五十六が戦死。

するとやはり、思い残すところがあったのか、義正さんは東大に籍を置きながらも、再び海軍への入隊を志すのです。

こうして前線で戦う兵にはならなかったものの、整備予備学生として海軍に携わることに。

戦時中は戦闘機の整備や防空壕作りに従事していたといいます。

「厚木の叛乱」では航空隊と海軍省の橋渡しをする

責任感が強かった義正さんの人柄を物語る、こんな逸話も残っています。

義正さんが整備予備学生として配属されていたのは、1945年に日本が敗戦した際、

「絶対に負けを認めてはいけない!」

と、徹底抗戦を主張した小園安名こぞのやすな大佐率いる厚木第302航空隊でした。

この一連の騒動は「厚木の叛乱はんらんと呼ばれ、終戦時の事件としてはよく知られているものですね。

国が終戦を宣言しているのに対し、自分の所属する隊は抗戦の準備や、それを促すビラをばらまいている。

このことに義正さんは疑問を覚え、「自分を海軍省との連絡役にしてほしい」と小園大佐に訴えます。

そう、彼は隊と海軍省のあいだを取り持ち、この騒動を鎮静化させようとしたのです。

当時義正さんはまだ23歳。

その若さを考えると、隊がおかしな方向に流れるのを食い止めようとする責任感には感心させられます。

長官としての責務を立派に果たした五十六の背中を見て育ったこと、その息子の名に恥じぬ振る舞いをしようとしたことが伝わってきますね。

孫の山本源太郎さん

五十六の子孫で、今も健在でおられる方だと、義正さんの長男・山本源太郎さんがよく知られています。

メディアへの露出でいえば、2011年12月に、映画『聯合れんごう艦隊司令長官 山本五十六~太平洋戦争70年目の真実~』が公開された際に文藝春秋のインタビューに答えるなど。

毎年4月18日の命日に行われる五十六の法要に参列する姿もしばしば報道されています。

国の先頭に立ち、命をかけて指揮を執った五十六の偉大さを後世に伝えるという、子孫としての役目をしっかり果たされている印象です。

法要の一幕では源太郎さんも平和を望む気持ちを語っており、本来は平和を望んでいた五十六の想いが受け継がれているのだな…と感じさせられます。

そして源太郎さん自身にも、こんな興味深いエピソードがあります。

なんでも「源太郎」という名前は五十六が懇意にしていた海軍大将・山下源太郎にちなんで名付けられたものだとのこと。

名付け親の義正さんが五十六をどれほど尊敬していたかがここにも表れています。

 

きょうのまとめ

今回は山本五十六の子孫、義正さん・源太郎さんについて深堀りしてみました。

それぞれの逸話などを辿ってみると、父や祖父としての五十六がいかに大きな存在であったかが伝わってきます。

最後に今回のまとめをしておきましょう。

① 山本五十六の長男・義正さんは戦時中、戦闘機の整備や防空壕作りに従事していた。

② 義正さんは終戦時の「厚木の叛乱」にて、航空隊と海軍省のあいだを取り持とうと奔走した。

③ 孫の山本源太郎さんはインタビューなどを通じ、平和への想いを語るなど、五十六の想いをしっかりと受け継いでいる。

戦争は紛れもない過ちですが、国の重責を背負って戦場に立った五十六は日本の誇りというに相応しいでしょう。

子孫の方々には今後もその誇りを紡いでいってほしいですね。

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