一介の武士から身を起こし、帝国陸軍の基礎を築き、内閣総理大臣も務めるなど、明治~昭和初期の世において、日本を牽引した政治家
山県有朋。
常に国の命運を握る立場にありながらも、国民からあまり好かれていない側面が目立った人物としても知られています。
ただ彼が好かれていなかったのは、誤解による部分が多く、現在ではその功績が見直されつつもあったり…。
そんな山県の人物像は、彼の残した言葉の節々から垣間見ることもできます。
今回は山県有朋の名言を詳しく読み解いていきましょう。
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山県有朋の名言
以下より山県の名言を辿っていきます。
わしは一介の武弁である
わしは一介の武弁(軍人)である
山県が内閣総理大臣となり、軍を離れてからもずっと言い続けた言葉です。
元武士で陸軍のトップという経緯をもつ彼は、政治においても特に軍事力の強化に注力していました。
海外との交易が盛んになった明治の時世において、”舐められてはいけない、海外の列強と肩を並べるんだ”と意気込んでいたのでしょう。
そしてこの名言には、
「軍人として長く従事してきた自分が国のためにできることは、やはり軍人として戦うことである、それは首相になったとしても変わらない」
という意志が感じられます。
たとえば社会人になったときに、学生時代の部活の経験が活きたり、転職したときに、分野が違っても経験が活かせることって、割とあるはずです。
自分が与えられた地位に対して、自分の得意分野をどう活かせるか考えるのはとても大事なことではないでしょうか。
山県の場合はそれが軍人として戦うことだったから、首相になってからも軍事に傾倒していったわけですね。
憲政は欧米人の特有にあらず
憲政は欧米人の特有にあらず、わが憲政の前途多望なり。
この名言には山県の革新的な政治をせんとする心意気が表れている感じがします。
“日本はこうだから”という固定観念に囚われず、新しい政策を進んで取り入れていかなければ、欧米諸国に太刀打ちすることなどできない、自分こそが日本の古い考えを変えてやるんだ。
そんなメッセージがひしひしと伝わってきます。
現代はより、海外の情報も手軽に手に入るようになりました。
ある意味、山県の時代よりもっと、革新的なアイデアを取り入れやすい時代になったといえます。
山県の信念を参考にして、凝り固まらず、柔軟に情報を取り入れていきたいですね。
虎の寝そべっている野辺を突き進め
弱い羊だけが群がっている世の中など嫌だ。虎の寝そべっている野辺を突き進め
これは山県の精神性を物語る名言ですね。
山県は頑固でなかなか人に心を許さない性格の持ち主だったといいます。
彼がそういう振る舞いをしていたのは、いわゆる傷の舐め合いをしたくなかったからではないでしょうか。
本気で切磋琢磨していける面々のなかに身を置かないと、自分自身、精進していくことなどできない。
そんな想いがあったように感じられます。
なかなか心を許さないけど、認めた相手はとことん厚遇する。
これは世間からは”えこひいき”だと捉えられ、山県が好かれていなかった原因のひとつとなりました。
しかし彼は日本を強国に押し上げたかったからこそ、周りに置く人を選び、気に入った相手はとことん大事にしたのです。
独り政府のなすべきことではない
国家の独立を維持し国勢の伸張を図ることが最緊要のことと存じます。この事たる、諸君及び我々の共同事務の目的であって、独り政府のなすべきことで御座いますまい。
山県は自分の見込んだ人材だけで周囲を固めていましたが、決してほかを見限っていたわけではありません。
そのことが、この名言にはよく表れています。
国を豊かにしていくことはなにも政府だけの仕事ではない、国民全員で取り組んでいくべきだと、彼は口にしました。
この言葉を真に受けると、気に入った人物だけを厚遇したのは、その人が評価に足る仕事をしていたからというだけで、特に私情によるものではなかったと捉えられます。
世間の見立以上に、山県は政治に関わる全員のことを平等に見定めていたのかもしれません。
きょうのまとめ
山県有朋が生きた時代というのは、日本が新しく生まれ変わり、これから発展していこうとしていた時代です。
彼の名言からは、そんな時世において、自分のやり方で、自分のできることにひたすら邁進していくことが、なにより日本の後押しになるという意志が感じられました。
最後に今回のまとめをしておきます。
① 山県有朋は首相となってからも、自分の得意分野を活かすべく、自分は一介の武弁だと意識し続けていた。
② 傷の舐め合いをしたくない性格で、自分が見込んだ人だけを周囲に置いていた。自身を磨くため?
③ 国を豊かにしていくのは国民全員で考えていかなければいけないこととした。ひいきしているように見えても、本来は政治に関わる者すべてを平等に見定めていたのでは?
頑固すぎたがゆえに誤解を招いた部分は多いですが、この一貫性という部分は、指導者として一番信用に足る素養ではないでしょうか。
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