宇多天皇の系図と意外な家族

 

皇室から出て、源定省みなもとのさだみと名乗っていたのに、もう一度皇室に戻って天皇即位。

そんな前代未聞の経歴を持つのが第59代宇多うだ天皇です。

第58代光孝こうこう天皇の第7皇子として誕生した宇多天皇の系図と家族構成は、どうなっていたのでしょうか。

 

宇多天皇の系図

宇多天皇

宇多法皇像(仁和寺蔵、15世紀)
出典:Wikipedia

実は、宇多天皇の孫たちもほとんどが源氏姓を名乗って臣籍降下しんせきこうか(皇族の身分を失って臣籍に下ること)しました。

そのため宇多天皇の系統は、おおまかに天皇家の系統と宇多源氏としての系統の2つに分けられます。

宇多天皇以前の天皇家系図

宇多天皇は、平安遷都を実行した桓武かんむ天皇から数えて5代目の子孫となります。

【第50代桓武天皇】
794年に平安京に遷都。坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろによる蝦夷えぞ征伐を実施。最澄さいちょうに新仏教をおこさせた。

【第52代嵯峨さが天皇】
天皇の側近を束ねる役所の蔵人所くろうどどころ・都の警察裁判権を司る検非違使けびいしを設置した。藤原良房を信任した。宇多天皇の曾祖父。

【第54代仁明にんみょう天皇】
非常に病弱だった天皇。子、孫、孫に文徳もんとく・光孝・清和せいわ陽成ようぜい天皇がいる。宇多天皇の祖父。

【第58代光孝天皇】
第57代陽成天皇のあとに55歳という高齢で天皇即位した。宇多天皇の父。

一度は臣下に下った宇多天皇も、血筋は間違いなく天皇の男系直系子孫です。

宇多天皇の家族

当時の天皇家の家族形態は、現代の天皇家の在り方や一般の「家族」とも違っていました。

父親・光孝天皇、宇多天皇共に複数の后がおり、大人数の「家族」でした。

光孝天皇の第7皇子・宇多天皇の家族構成を見てみましょう。

父:光孝天皇

母:班子女王はんしじょおう(桓武天皇の孫)

兄弟姉妹:宇多天皇と同母の第一皇子・是忠これただ親王(源是忠)同母・異母を含め16兄弟、18姉妹があった。

妻:
藤原温子ふじわらのおんし藤原基経ふじわらのもとつねの娘)

藤原 胤子ふじわらのいんし藤原冬嗣ふじわらのふゆつぐの孫。第60代

醍醐だいご天皇・敦実あつみ親王の母)

他10名以上の妻があった

子:
敦仁あつぎみ親王(のちの醍醐天皇)、敦実親王(宇多源氏の祖)均子きんし内親王を含め20人以上の子があった

 

宇多天皇から続く2つの系統

多くの夫人を持った宇多天皇は、沢山の子女に恵まれたわけですが、ここでは、宇多天皇の子孫として続いた2つの系統について見てみましょう。

第60代醍醐天皇から続く天皇家としての系統

893年に宇多天皇の第1皇子・敦仁親王(醍醐天皇)が9歳で立太子しました。

9歳という幼さで既に次の天皇として決定されたことから、宇多天皇が敦仁親王に皇位継承したかったことが窺えます。

敦仁親王が生まれた当時、宇多天皇は源定省みなもとのさだみと名乗っており、まだ天皇になっていませんでした。

その子である醍醐天皇は、臣籍の身分として生まれながら父親の即位と同時に皇族となり、のちに天皇即位した人物です。

こののち、天皇は

第61代朱雀すざく天皇

第62代村上天皇

第63代冷泉れいぜい天皇

と続いていき、万世一系の天皇家として今上きんじょう天皇までその血統が続いています。

宇多源氏の系統

宇多天皇の皇子、

斉世ときよ

敦慶あつよし

敦固あつたか

敦実あつみ

の4親王の子を祖とする氏族を「宇多源氏」といいます。

宇多天皇の孫は、ほとんどが臣籍降下して源氏の姓を賜っているのです。

その中でも宇多天皇の第8皇子・敦実親王から始まった系列が最も栄えました。

敦実親王の3男は臣籍降下して源雅信みなもとのまさざねと名乗り、一条天皇の元で左大臣を務めています。

雅信の娘・倫子りんしは藤原道長の正室となり、藤原頼通よりみちの生母となりました。

そのまま朝廷貴族として残った系列に庭田にわた家や綾小路あやのこうじ家などがあります。

また、武家として残った系列もあります。

雅信の4男・源扶義みなもとのすけのりは一条天皇の九卿の一人として活躍。

その子孫が近江おうみに土着した武家・佐々木氏などになり、さらに六角ろっかく氏、京極氏と分流しながら近江源氏と称されて繁栄しました。

 

忘れちゃいけない!宇多天皇がネコ可愛がりに可愛がった家族

実は、宇多天皇の大切な大切な家族メンバーをまだご紹介していませんでした。

それは、一匹の猫です。

猫は中国から渡来したという説が一般的ですが、それ以前から日本にいた可能性も指摘されています。

いずれにせよ、珍重されたネコは平安時代から高貴な身分の人だけに許される愛玩あいがん動物として可愛がられていたのです。

宇多天皇は、大変な愛猫家でした。

父親の光孝天皇から譲り受けた珍しい黒猫を飼っていたのです。

天皇の日記としては最古のものとして知られる宇多天皇の『寛平御記かんぴょうぎょき』(逸文として一部伝わる)にその黒猫が登場します。

天皇は、自分の黒猫がいかに可愛いかを書かずにはいられませんでした。

例えば、

愛其毛色之不類。餘猫猫皆淺黑色也。此獨深黑如墨。

何と書いてあるのかわかりますか?

「その毛色はめったに見られないもので、他の猫がみんなぼやけた灰黒色なのに、この猫だけは墨のように真っ黒で、とても愛おしい」

こんな調子で他にもこの黒猫について書かれており、うちの猫こそ一番だと、メロメロなんです。

天皇を夢中にさせた一匹の黒猫。

これはもう宇多天皇の家族のような存在だったに違いありません。

 

きょうのまとめ

今回は宇多天皇の系図や家族についてご紹介しました。

簡単なまとめ

① 宇多天皇は臣籍降下したあと再び皇籍に戻り天皇即位した、珍しい経緯を持つ第59代天皇である

② 宇多天皇はのちの佐々木氏などに代表される宇多源氏の祖先である

③ 宇多天皇はペットの黒猫を大変可愛がっていた

 

政治の世界で活躍した宇多天皇の血統は、天皇家・宇多源氏へと続いていきました。

そして、世の愛猫家たちも続々と彼に続いているようですね・・・。

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歴史ライター、商業コピーライター 愛媛生まれ大阪育ち。バンコク、ロンドンを経て現在マドリッド在住。日本史オタク。趣味は、日本史の中でまだよく知られていない素敵な人物を発掘すること。路上生活者や移民の観察、空想。よっぱらい師匠の言葉「漫画は文化」を深く信じている。 明石 白(@akashihaku)Twitter https://twitter.com/akashihaku