豊臣秀頼とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

豊臣秀吉の後継ぎ、豊臣秀頼

豊臣秀吉亡き後、徳川家康に敗れ自害します。

しかし、鹿児島での生存説や、秀頼の子どもが島原の乱の天草四郎という説も残っています。

悲劇の2代目、豊臣秀頼とはどんな人物だったのでしょうか。

どうぞ最後までご覧ください。

 

豊臣秀頼はどんな人?

プロフィール
  • 出身地: 摂津国(せっつのくに / 現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)
  • 生年月日: 1593年
  • 死亡年月日: 1615年(享年 23歳)
  • 豊臣秀吉の後継。徳川家康に敗れ自害。身長190cmほどあった大男

豊臣秀頼 年表

豊臣秀頼の生涯を年表にまとめました。

西暦(年齢)

1593年(1歳)豊臣秀吉の子として生まれる。

1595年(3歳)秀吉の後継者で養子の豊臣秀次が自害させられたことから、秀頼が秀吉の後継となり、伏見城に入城。

1596年(4歳)元服。

1598年(6歳)豊臣秀吉が亡くなり、当主となる。

1599年(7歳)豊臣秀吉の遺言により大阪城の本丸に入城し、大坂城の西の丸に徳川家康が入城。

1600年(8歳)関ヶ原の戦いで西軍の総大将に担がれるが敗戦。直轄領200万石から、摂津国、河内国、和泉国の65万石に削られる。

1603年(11歳)徳川秀忠の長女千姫と結婚。

1611年(19歳)徳川家康と二条城で対面。(二条城会見)

1614年(22歳)徳川家康の言いがかり、方広寺鐘銘事件が発生、大阪冬の陣が勃発する。

1615年(23歳)大阪夏の陣にて敗戦。母、淀殿と共に自害する。

 

豊臣秀頼の生涯

豊臣秀頼は豊臣秀吉と淀殿の間に生まれた、豊臣秀吉の跡継ぎです。

淀殿の本名は浅井茶々、美人浅井三姉妹の長女です。

あの織田信長の妹と浅井長政の間に生まれたのが淀殿です。

豊臣秀頼は、長男の豊臣秀次が自害させられ、幼いころから豊臣家の跡継ぎとして育てられます。

しかし、父親の豊臣秀吉が病死後、最大権力者の徳川家康が天下を狙います。

母淀殿と他の武将と力を合わせ、徳川家康と対峙しますが、ついに関ヶ原の戦いに突入します。

8歳だった豊臣秀頼は参戦せず、結果、西軍は惨敗します。

11歳となった秀頼は徳川家との縁結び役となり、徳川2代目徳川秀忠の長女千姫と結婚します。

しかし、徳川家康の天下取りの野望は絶えませんでした。

言いがかりから豊臣家滅亡を図り、ついに大坂の陣が始まります。

1615年、大阪城にて母淀殿と共に自害となりました。23歳の若さでした。

 

豊臣秀頼にまつわるエピソード

身長190cm?!大男豊臣秀頼!

豊臣秀頼は大男でした。

身長は190cmほどあったと言われ、当時では圧倒的に飛びぬけた背の高さだったと言われています。

小柄な豊臣秀吉とは全く正反対な親子でした。

しかし、このことから豊臣秀吉の実子ではない、という噂もあります。

豊臣秀吉の側室は20名近くいたと言われていますが、淀殿以外は1人も生まれていません。

小柄な豊臣秀吉の遺伝子ではない可能性が囁かれています。

 

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豊臣秀頼が大男であったことが、豊臣家滅亡の理由?

身長190cmほどあった大男、豊臣秀頼。

徳川家康と大阪城で会見した際、徳川家康はあまりにも恵まれた体格に圧倒されたと言われています。

このままでは徳川家も危ない、と徳川家康は感じたようです。

徳川家康が大坂の陣で宣戦布告した理由には、豊臣秀頼の恵まれた体格にも背景があったかもしれません。

豊臣秀頼の生存説

豊臣秀頼は大坂の陣で徳川家康に敗れ大阪城にて自害します。

しかしその後、豊臣秀頼が生存して鹿児島で生きているという生存説が流れます。

鹿児島では豊臣秀頼の墓と言われる石碑が現存しており、その根拠の一つとされています。

また、豊臣秀頼の子どもが島原の乱を主導した天草四郎である、という噂もありました。

いずれにしても、徳川家康に滅ぼされた豊臣家の存続を願う人達が多かったということかもしれません。

 

関連記事 >>>> 「豊臣秀頼の最後とは?鹿児島で生き延びたのか?」

 

きょうのまとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。豊臣秀頼についていかがでしたでしょうか。

豊臣秀頼とは?

① 豊臣秀吉の後継者でありながら、徳川家康に破れ、わずか23歳で自害した

② 身長190cmほどあった大男だと言われている

③ 生存説があり、鹿児島では墓石と言われる石碑がある

その他の記事についても豊臣秀頼にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

 

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