白いヒゲをはやした頭巾姿。
お供を引き連れて諸国を行脚し、お上の横暴から町民、百姓を助ける痛快なおじいちゃんヒーロー水戸黄門。
庶民への眼差しは優しく、好き勝手をする権力者をやり込める姿に、
フィクションだとわかってはいてもファンは拍手喝采します。
じゃあ、黄門サマのオリジナル、
徳川光圀の実像はどうだったのでしょうか。
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悲報。本物の徳川光圀はドラマの中の人ほどヒマじゃなかった
徳川光圀こと水戸光圀については、もともと言行録や伝記などが作られていました。
それが、江戸時代の後期から近代にかけて、水戸黄門漫遊譚として確立します。
講談や歌舞伎の題材として大衆に大人気。
昭和になってからは、映画やテレビドラマにもなり、いっそう人々に知られる存在となりました。
テレビドラマを見たことがある人なら、明らかにフィクションのエンターテイメントであるということが分かるはず。
とはいえ、黄門さまが毎回旅の途中で遭遇する人々との人情話を見ると、さぞかしオリジナルの光圀もいろんな旅をしたのだろう、と思いますよね。
残念でした。
実際の光圀の旅の範囲はせいぜい日光、鎌倉、金沢八景、房総あたりどまり。
関東と若干の周辺エリアから出た記録がないのです。
1690年から隠居した光圀は、その後も一大事業である『大日本史』の編纂作業などに明け暮れて超多忙。
地方を行脚するヒマなどなかったようです。
ただ、その編纂に必要な資料収集のために家臣を諸国に派遣しました。
また、光圀自身は隠居後に水戸領内を巡視したことならありました。
それらの影響で「諸国漫遊する黄門さま」のイメージが出来上がったのではないかと言われています。
でもやっぱり好奇心の塊、徳川光圀
私たちがドラマで知る水戸黄門は、困った人の相談に乗り、通りすがりにしてはちょっとばかりお節介なくらいの協力的なご老人。
まあ、好奇心旺盛なおじいちゃんという感じですが、その点では本家本元の光圀も負けていませんでした。
ええーっ。日本で最初に○○を食べたのは徳川光圀!?
実は、新しいことが好きで、興味を持ったらトライしてみたい、というのがオリジナルの徳川光圀の性格。
ギョウザ、チーズ、牛乳酒、黒豆納豆・・・。
これらの物、全て光圀が日本で最初に食べたんだそうです。
クセのありそうなものを結構食べてますよ!
実はラーメンも光圀が最初に食べたとされていましたが、これに関してはもっと古い記録が発見され、彼が最初ではなかったようです。
光圀は、五代将軍徳川綱吉の生類憐れみの令も無視していました。
肉食が忌避されていた当時も、牛肉、豚肉、羊肉などを食べていたツワモノです。
舶来ものだってだーい好き、の光圀
光圀の新しい物好きはまだ続きます。
日本最古のメリヤス足袋と呼ばれるオランダ製の靴下を使用し、ワインを愛飲するなど南蛮の物に興味を示しました。
朝鮮人参を取寄せ、インコを育てたりもしています。
蝦夷地(後の石狩国)探索のため黒人2人を雇い、そのまま家臣としました。
また、亡命してきた明の儒学者・朱舜水を招聘して教授させたりもしています。
基本的に未知のものに対する偏見がなく、新しいものをどんどん取り入れようという積極的な性格だったようです。
おわりに
若い時分にはかなりの不良少年で、やんちゃなことも記録に残る、徳川光圀。
時代は違いますが、ちょっと織田信長のような新しいもの好きの一面がありました。
信長と同様に「うつけ者」と呼ばれたこともあったそうです。
同じ徳川家でありながら、将軍綱吉の生類憐れみの令もなんのその!
好きなことを好きなように、何も畏れず実行していたところは、さすがドラマの水戸黄門様のオリジナル、ですね。
徳川光圀の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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