戦国の時代を終わらせ、江戸幕府を開き征夷大将軍となった
徳川家康。
15代にわたって続いた徳川家の家系図はどのようになっているのでしょう。
徳川家の家系は複雑ですが、ここでは簡単にみていきましょう。
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徳川家康の家系図
まずは徳川家康の家系図をみてみましょう。
264年、15代にわたる家系図は長く、複雑です。
本文を読みながら、確認して頂くと分かりやすいです。
徳川家を家系図を簡単に
歴代の徳川家当主たち
初代将軍は当然、徳川家康です。
家康には8人の男子がいましたが、二代将軍となったのは三男の秀忠でした。
その秀忠の子供は長男の家光が三代目を継ぎます。
四代目は家光の長男、家綱です。
ここで男子の子供は途絶えてしまいます。
そこで館林徳川家から養子として
徳川綱吉を迎え、五代目当主となります。
ところが綱吉の実子も早逝してしまい、今度は甲府徳川家から
家宣を養子に迎え、六代目当主としました。
家宣には家継という実子ができ、七代目はすんなり決まるのですが、また家継は若くして亡くなり、ここで三代目将軍家光以来の直系が絶えてしまいます。
そこで紀州徳川家より吉宗を八代目当主として迎えます。
吉宗のあとは長男の家重が九代目となり、その子家治が十代目を継ぎましたが、家治の実子がまたも早逝してしまいます。
十一代目当主は一橋家から家斉を養子として迎えました。
十二代目は家斉の子家慶が、十三代目はまたその子の家定が継ぎます。
しかし、家定に実子がおらず、
十四代目は紀州徳川家より家茂を迎えました。
家茂は幼かったため、幕末の動乱の時期でもあったことから、すぐに将軍を変えることとなりました。
十五代目は水戸徳川家出身で一橋徳川家にいた慶喜が江戸幕府最後の将軍としてあとを継ぎます。
ここで264年間続いた徳川幕府が終わりを告げたのです。
徳川御三家
徳川家康の子どもたちはそれぞれ、本家の徳川将軍家を支えてきました。
尾張徳川家:九男の義直
紀州徳川家:十男の頼宣
水戸徳川家:末っ子の頼房(TVでも有名な徳川光圀公(水戸黄門)は頼房の三男です。)
これが徳川御三家です。
七代将軍が早逝した時は、紀州徳川家より吉宗が将軍に抜擢されているように、将軍家の後継のためにも力を尽くしてきました。
尾張徳川家は将軍職につくものはいませんでしたが、御三家の中で最も格式の高い大名家として君臨していました。
幕末後の徳川家は
明治維新後の徳川将軍家はどうなったでしょうか。
当然大政奉還してますから、すでに将軍ではありません。
しかし徳川家は続いていたのです。
1884年には徳川公爵家として、十六代目を徳川家逹がついでいます。
その子家正も十七代当主として公爵の身分でした。
現代の当主は十八代目にあたります。
徳川恒孝さんといい、会津松平家から養子として迎えられたそうです。
きょうのまとめ
徳川家康の開いた江戸幕府は、260年以上も続いた上、
明治政府になって現代までずっとその家名は絶えることなく続いているのです。
戦乱の世を終わらせた徳川家康の力が、子孫に脈々と受け継がれて行った結果と言えます。
これからも家康に見守られながら、徳川家は力強く繁栄していくことでしょう。
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