「鉄の女」と呼ばれたサッチャー その由来とエピソード

 

1980年代にイギリスで首相を務めた

マーガレット・サッチャー

イギリス初の女性首相でありながら、

彼女は現在でも「鉄の女」という異名で呼ばれています。

その強靭な精神からこのような異名がついたと言われていますが、

今回はその由来について詳しく探っていきましょう。

 

「鉄の女」その由来と背景

マーガレット・サッチャー

マーガレット・サッチャー
出典:Wikipedia

それでは早速、サッチャーが「鉄の女」と呼ばれるようになった由来や、

その背景を見てみましょう。

「鉄の女」の名付け親

サッチャーが「鉄の女」と呼ばれるきっかけを作ったのは、

ソ連の国防省機関紙「赤い星」に掲載された軍事ジャーナリストの論文でした。

1979年1月24日に掲載されたその論文のなかで、

サッチャーの人柄を「ジェレズナヤ・ダマ」と例え、

それをイギリスの週刊新聞が翌日の記事で「アイロン・レディー」と翻訳し、

それが後に広く知れわたることになったのです。

「鉄の女」プラスとマイナスのイメージ

ソ連によって名付けられた「鉄の女」という異名。

女性の強い精神や固い意志を「鉄」に例えて用いられるあだ名として、

後の女性リーダーたちにもしばしば付けられることになります。

しかしそのはじまりとなったサッチャーの場合、

その由来はソ連の共産主義に反対する姿勢を非難され付けられた、

マイナスのイメージとしてのあだ名でした。

その一方で、ソ連内部でもサッチャーの評価は様々で、

その強い決断力やカリスマ性はまさに「鉄の女」にぴったりだ、という

プラスのイメージとしても捉えられました。

実際に、強い意志を持つサッチャー本人はこのあだ名を気に入っていました。

 

まさに「鉄の女」サッチャーにふさわしいエピソード

ここでは、サッチャーが「鉄の女」と呼ばれる由来とも考えられるような、

彼女の強さがうかがえるエピソードをご紹介していきます。

強引な国内改革

サッチャーが首相に就任する以前のイギリスは、

戦後の労働党政権化で福祉国家政策が行われていました。

そして、その政策によって国全体の財政難が続いていました。

社会主義計画経済による「イギリス病」と呼ばれたこの財政難を打破し、

資本主義本来のやり方でイギリス経済の立て直しを図ろうとしたのがサッチャーでした。

福祉政策を見直し公共事業を削減、そして民主化を進めるなど次々に改革を行っていった彼女は、

それまでのイギリス社会を大きく変革していく一方で、

周囲に有無を言わせぬ強硬な手段に批判の声も上がりました。

なかでも、国家の財政支出で大きな負担になっていた社会保障費の削減を強引に推し進めたことで、

貧困層などの社会的弱者から強い非難を受けています。

それでも、イギリス全体の利益を考え意志を貫き続けるサッチャーは、

まさに「鉄の女」と呼ばれるにふさわしい強い女性でした。

フォークランド戦争

強硬な手段で施策を行っていたサッチャーでしたが、

「鉄の女」としての彼女の人気を高めた出来事がありました。

それが「フォークランド戦争」での勝利です。

イギリス領だった南大西洋上にあるフォークランド諸島に、

アルゼンチンが領有を主張して軍隊を上陸させ、

抗議したイギリス守備隊を降伏させ占領したことが始まりでした。

この出来事に対しイギリス国内では、イギリスにとって特に重要ではないこの島を

わざわざ奪還する必要はない、といった否定的な意見が多く、

アメリカや国連なども平和的な解決のための仲裁を申し出るなど、

誰も正面から戦うことを考えませんでした。

しかし、サッチャーは

「侵略者が得をすることがあってはならない」

と主張し、

イギリス陸海空軍さらに特殊部隊なども派遣し、アルゼンチン軍を撃退

見事フォークランド諸島の奪還に成功します。

この勝利により、社会保障費の削減などで批判が挙がっていたサッチャーは人気を回復し、

サッチャー内閣はイギリスの栄光を回復させたとして、支持率が急上昇することになりました。

反対意見が多いなか、戦争という道を選んでも奪還に踏み切るその強い決断力は、

まさに「鉄の女」的なエピソードとして歴史に刻まれることになりました。

 

きょうのまとめ

今回は、イギリス初の女性首相サッチャーが「鉄の女」と呼ばれる由来や、

その理由が窺えるエピソードついてご紹介しました。

いかがでしたでしょうか。

内容について簡単にまとめると

① 「鉄の女」の元々の由来は、ソ連の国防省機関紙に掲載された軍事ジャーナリストの論文からきている

② 共産主義に反対したことで、ソ連から批判の意味を込めて付けられたあだ名だが、サッチャーの強い意志やカリスマ性にふさわしいあだ名として、本人も気に入るなどプラスの意味としても捉えられている

③ イギリス経済の立て直しやフォークランド諸島の奪還など、周囲に有無を言わせぬ強硬な手段で行う彼女の政治は、イギリスを大きく改革していく一方で批判の的にもなる、まさに「鉄の女」と呼ばれるにふさわしいエピソードであふれている

嫌われることを恐れず己の信念に従い政治を行ったサッチャー。

何かを大きく変えるためには、相応の犠牲がつきものです。

ましてや一国を背負う者であれば、いちいち落ち込んでなどいられません。

「鉄の女」とはまさに、強い精神を持った彼女にふさわしいあだ名だったのです。

 

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