田沼意次とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

田沼意次(たぬまおきつぐ)と言えば昔は「 わいろ政治家 」として散々な言われようでした。

ですが、最近は次第に見直されてきています。

実際のところ、
田沼意次はいったい何を行い、
どのような人生を送ったのか、

ふりかえってまいりましょう。

田沼意次はどんな人?

  • 出身地:江戸(現在の東京都)
  • 生年月日:1719年9月11日
  • 死亡年月日:1788年7月27日(享年68才)
  • 江戸後期の役人、政治家。幕府財政を立て直し、好景気を成しとげた。

田沼意次の年表

年表

1719年(0才)田沼意次生まれる

1758年(39才)田沼意次、郡上一揆(ぐじょういっき)の裁定を行う。相良藩(さがらはん。現在の静岡県牧之原市相良)の大名となる。

1767年(48才)田沼意次、江戸幕府第10代将軍徳川家治(いえはる)の側用人(そばようにん)となる。「田沼時代」始まる。

1786年(67才)田沼意次、老中を罷免(ひめん)される

1788年(68才)田沼意次、死去

田沼意次はイケメン!

田沼意次は父親が旗本(はたもと)。

中流のお侍さんです。

そんな彼の特徴はまずその”イケメンぶり”!

その画像を一目見れば、
白く透き通るような肌、
目は切れ長、鼻すじはしゅっとのびて、全体として端正にまとまった顔つき

ちょっとおっとりした童顔なのもあいまって、元祖アイドルですね。

実際、当時の大奥では節分に”年男”を選んで簀巻き(すまき)にし、胴上げにしっちゃかめっちゃかしていたようです。

しかし、オキ様はあんまりイケメンのせいか、さしもの大奥の方々も手を出しかねたようです。

ちなみにオキ様とは田沼意次のこと。

当時、誰もそう呼んでません。

多分。

田沼意次、グングン出世!!

オキ様は江戸幕府9代将軍徳川家重に小姓(こしょう)として気に入られます。

小姓とはご主人様のおそば回りを世話する人のことです。

やがて、郡上一揆(ぐじょういっき)という幕府閣僚まで巻き込んだむずかしい事案の裁定を任されます。

オキ様はここでその才覚を発揮して、うまく収めてしまいます。

この成果もあって大出世し、とうとう「 田沼時代 」とも呼ばれるほどの全盛期がやってきます。

田沼意次の政治

株仲間の奨励

オキ様の代名詞です。
株仲間を奨励して、彼らから冥加金(みょうがきん)を受け取りました。
商人からもしっかり税金を取るようにしたのです。

商品産品の開発

オキ様は税金収入がコメ一辺倒には無理があると思っています。
産品の開発に努め、
特に俵物(たわらもの)
いわゆる「 ほしあわび 」「 いりなまこ 」「 ふかひれ 」
を対清(しん。当時の中国)に売り込んでゆきました。

蝦夷地(えぞち)の開拓

蝦夷地は今の北海道です。
ここを幕府直轄(ちょっかつ)にして開拓しようと試みました。

印旛沼(いんばぬま)などの干拓

印旛沼は千葉県北部にある広大な湿地帯です。
これを耕せる地にしようとしました。

また、オキ様は士農工商の別なく人々を実力主義で採用していたようですね。
特に、オキ様の領地である相良藩の有力な家来には
浪人
農家
廻船問屋
の出身の人たちがいてそれぞれに活躍しております。

これは身分ガチガチの江戸時代においてかなりめずらしいことです。

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ああ、オキ様「 卒業 」の日

こうしてオキ様の改革の効果があって庶民の景気も幕府財政も見違えるようによくなってゆきました。

が、こんなオキ様もいつまでも順風満帆(じゅんぷうまんぱん)とはいきません。

あんまり重商主義に前のめりすぎたか、
お百姓でも
「 こりゃ、コメなんかつくってるよりゃ 」

と、田畑をほっぽらかして江戸なんかの都市部に出てくる人が続出。

まあ、その前時代からの「 田畑さえ増やせば 」というツケが回ってきたのもあるかもしれませんな。

そんな農村荒廃に追い打ちをかけるように

浅間山大噴火、
洪水、

など折り重なる天候不順。

そして、天明の飢饉。

人々は食糧難、そして疫病が猛威を振るい、

当然、
「 おい、こうなったのは誰のせいだ 」

となるわけです。

物価はドンドン高騰。
一揆だ。打ちこわしだ。
ますます世の中はすさむ一方。

とうとう、
「 田沼、お前が悪い 」
とばかりに老中(ろうじゅう。幕府政界におけるセンターのようなもの)を「 卒業 」 になり、後は転げ落ちるようにして幕府政界をフェイドアウトしていかれました。

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きょうのまとめ

歴史の事実というのはえてして時代とともにひっくり返ります。

まぎらわしいことこの上ないですが、それだけだれかがわざと作ったものであったり、人々のたよりない噂にもとづいていたりするのです。

だれがよい者で、だれが悪者なんて、言ったって実際その教える人、書いている人の大半がその人、その事実を見たわけじゃないんですから。

① 田沼意次はイケメンだった

② 田沼意次は幕府に様々な改革をもたらした

③ 田沼意次の改革には欠点もあり、それが表沙汰になって失脚した

百聞は一見にしかず。
鵜呑み(うのみ)は危険。

それはなんでもそうなのですが、歴史は特にその注意が必要です。










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