天満宮、とは天神さまを祀った神社です。
天神さまとは菅原道真のことです。
一つの神社に祀られることだけでも大したことなのに、
道真は全国の天満宮に祀られているスゴイ人物です。
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菅原道真がどうして全国の天満宮で祀られるのか
学問の神さまとして現在多くの参拝者を集める天満宮ですが、神社となった最初の経緯は学問とは関係ありません。
出世を妬まれ陥れられた道真の悲劇
菅原道真は大変優秀な学者であり、宇多天皇に重用されたキレッキレの辣腕官僚でした。
大変なスピード出世で右大臣にまで上り詰め、朝廷のナンバー2になります。
しかし、それを快く思わない左大臣・藤原時平。
彼が次に天皇となった醍醐天皇に讒言(人を陥れるための告げ口)したのです。
結果、道真は大宰権師として北九州に左遷され、2年後の903年に亡くなってしまいました。
道真の祟りを鎮めようとした神社
その後、京で数々の異変が起きます。
政敵藤原時平をはじめとする、菅原道真の左遷に関与した人とその家族がピンポイントで病死や事故死。
そのうえ清涼殿への落雷でもさらに左遷に関連した人々が多く死傷し、最終的には醍醐天皇まで崩御しました。
これは全て菅原道真の祟りに違いないと人々は恐れます。
朝廷は彼の怒りを静めるために、既に亡くなった道真の大宰権師の任を解き、右大臣に復職させました。
そして雷天神が祀られていた京の北野に社殿が作られ、落雷を操る天神となった菅原道真を祀ったのが北野天満宮の始まりです。
その後道真には正一位太政大臣が追贈されています。
これ以降、大災害が起きるたびに道真の祟りだとする考えは全国に広まり、地方でも天満宮が作られました。
そして今では災害の記憶は風化し、天満宮は秀才だった道真を学問の神さまとして厚く信仰する場となったのです。
道真を祀った神社について
全国に「天満宮・天神社」と呼ばれる神社は約1万2000社あるそうです。
中でも中心的な役割を持つ三つの神社の起源についてご紹介しましょう。
太宰府天満宮 道真の魂を祀る墓所
道真は大宰府政庁の南館で亡くなりました。
門弟が亡骸を牛車に乗せて進んだところ、ある場所で牛が伏して動かなくなったのです。
これは道真の意向だろうと、その地に埋葬しました。
905年墓所の上に廟が創建され919年に勅命により社殿が建立されたのが、太宰府天満宮の始まりです。
所在地:
〒818-0117
福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
北野天満宮 京の天神信仰発祥の地
先述したように、京都の北野にはもともと火雷神が祀られていました。
雷で祟りを起こすと信じられていた道真を火雷神と結びつけ、この地に神社を建てて鎮めようとしたのが北野天満宮の始まりです。
947年に、
・近江国(滋賀県)比良宮の神主 神良種
・北野朝日寺の僧 最珍
らが道真のお告げを受けて神殿を建てたのでした。
所在地:
〒602-8386
京都市上京区馬喰町 北野天満宮社務所
防府天満宮 日本で最初の天神さま
道真が九州の太宰府へ向かう途中、本州最後の寄港地防府の勝間の浦に到着しました。
と願いつつ九州へと向かったそうです。
道真が太宰府にて亡くなった当日、防府勝間の浦に人々を驚かせる神光が現れ、酒垂山(現・天神山)に神々しい雲が現れました。
里人たちは道真の霊魂が光と雲になって戻って来たと悟ります。
そして904年「松崎の社」建立。
これが日本で最初に創建された天神さまなのです。
所在地:
〒747-0029
山口県防府市松崎町14-1
道真を祀った神社に共通する牛
天満宮へ参拝に行くと、牛の像をよく見かけることと思います。
これは菅原道真公が丑年生まれであったこと、亡くなった際、道真の亡骸を運ぶ牛が座り込んで動かなくなり、道真の墓所(太宰府天満宮)の位置を決めたためなどと言われています。
いくつかの説があり、どれが正しいのかはわかりません。
しかしとにかく今ではラッキーアイテムとして大切にされる天満宮の牛。
太宰府天満宮の沢山奉納されている銅牛、石牛を撫でると智慧がつくそうです。
北野天満宮の「一願成就のお牛さん」を撫でると、こちらは一つだけ願いごとが叶うとか。
防府天満宮では、毎年2月の節分祭として神牛や金色や銀色の牛の置物があたる「牛替神事」というくじがおこなわれ、日本でも珍しい神事とされています。
今では恐ろしい祟りの天神というよりは、ご利益が期待できそうな天満宮。
一度お参りしてみてはいかがでしょう?
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