柴田勝家とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

かの有名な織田信長の最大家臣とも言われる

柴田勝家しばたかついえ

織田信長が勢力を急拡大させた背景には柴田勝家の存在がありました。

戦国一の美女と言われる織田信長の妹、お市の再婚相手としても有名です。

飛ぶ鳥を落とす勢いの織田信長を支えた柴田勝家とはどんな人物だったのでしょうか。

どうぞ最後までご覧ください。

 

柴田勝家はどんな人?

プロフィール
柴田勝家

柴田勝家像
出典:Wikipedia

  • 出身地:尾張国愛知郡上社村(現在の愛知県名古屋市名東区)
  • 生年月日:1522年?
  • 死亡年月日:1583年6月14日(享年61歳?)
  • 織田家の重鎮で織田信長に仕える猛将!

 

柴田勝家 年表

西暦(年齢)

1522年(1歳)尾張国上社村に生まれる。

1551年(30歳)織田信秀の没後、織田信行を織田家の跡取に推薦。(結局、信長が跡取りとなる)

1556年(35歳)織田信行を支援し、織田信長を討つため挙兵(稲生の戦)するが敗れ、信長に仕える。

1568年(47歳)織田信長の天下取り上洛戦に参加、六角氏との勝竜寺城の戦いでは織田軍の4人の先鋒として戦功をあげる。

1570年(49歳)反撃してきた六角氏に長光寺城を包囲されたが、これを撃退。(長光寺城の戦)

1571年(50歳)織田信長の比叡山焼き討ちに参加。

1573年(52歳)越前攻め、小谷城攻めに従軍し浅井家滅亡に貢献。

1575年(54歳)旧浅井家領地、越前8郡75万石を拝領し北ノ庄城主となる。

1582年(61歳)本能寺で織田信長が没し、豊臣秀吉との清州会議で主導権争いが起こる。

1583年(62歳)賤ヶ岳にて秀吉と激突。敗北し逃げ延びた北ノ庄城で妻のお市の方とともに自害。

 

柴田勝家 エピソード4選

織田信長に仕える

柴田勝家は旧来からの織田家重鎮でした。

織田信長の父信秀の没後、林通勝や林通具らとともに織田信長の弟、信行を支援します。

柴田勝家は織田信長を討つため、挙兵するも信長に破れてしまいます。

しかしその信長の強さを認め、信長に仕えることとなりました。

猛将柴田勝家の異名伝説!

柴田勝家は武骨な性格で、その猛勇ぶりから「鬼柴田」と呼ばれています。

また常に合戦の先鋒を務めたことから「かかれ柴田」という異名を持ち、突撃力は随一と言われています。

そして柴田勝家の武勇伝の一つ、「かめ割柴田」というエピソードがあります。

1570年、六角氏を破り長光寺城主となった柴田勝家は、再び六角氏の反撃を受けてしまいます。

数的にも有利だった六角氏は長光寺城を取り囲みます。

持久戦を狙った六角氏の作戦通り、城内の水が無くなっていきます。

柴田勝家は城内中の水をかき集め、水がめに入れて家臣たちに腹一杯飲ませます。

そして、なんと柴田勝家は残った水がめ全てを割ってしまいます。

そのうえで、

「我々が生き残る道は打って出て六角軍を蹴散らす以外なし!」

と家臣を鼓舞します。

決意を固めた家臣たちは一気に包囲網を打破し、窮地を脱した

という逸話が「かめ割柴田」の由来です。

北ノ庄城を築城、福井市の基盤を作った!

織田軍は越前朝倉氏を滅ぼします。

当初は朝倉攻めで道案内役を務めた桂田長俊を越前の守護代に任命します。

しかし朝倉氏の旧家臣の不満、隣接する上杉家の影響もあり、一揆が発生します。

一揆といえど、3万人以上に膨らみ、実質権力は奪われてしまいました。

その後、織田信長が長篠の戦いで武田勝頼に勝利し一息ついたこともあり、本格的にテコ入れ。

柴田勝家を中心とした織田軍が一揆を鎮圧します。

その功績が大きかった柴田勝家はその領地、越前75万石を得ることとなりました。

柴田勝家は壮大な北ノ庄城を築城し、道路や橋も整備し、安土城をも上回る城下町を築きました。

活気を取り戻した北ノ庄は、徳川家の福井城下町を経て福井市を形成するに至っています。

戦国一の美女お市との最期

本能寺の変で織田信長が討たれると、柴田勝家は次なる実権争いで豊臣秀吉との対立が深まります。

旧織田家を守るために織田信長の妹、戦国一の美女と言われるお市と柴田勝家は結婚することとなりました。

その差はなんと25歳差。

柴田勝家はそれまで正室を迎えたことがなく初婚でした。

一説によると柴田勝家のお市へ想いは長年に及んでいたとも言われています。

戦国一の美女、雲の上の存在織田信長の妹君のお市との結婚。

柴田勝家は幸せだったのかもしれません。

しかし、結婚後1年もたたずに豊臣秀吉に攻め込まれ、北ノ庄城にて二人で自害します。

お市に関しては秀吉の許しも得られたはずでしたが、柴田勝家と最期を共にしています。

少しの間でしたが、二人の愛は本物だったとも言えるかもしれません。

 

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きょうのまとめ

最後までお読み頂きありがとうございました。

柴田勝家とは?

① 織田家の旧来からの重鎮で織田信長の躍進を支えた

② 戦では常に先鋒を務め「鬼柴田」「かかれ柴田」という異名がある

③ 六角氏に攻められた長光寺城の戦では、背水の陣「かめ割柴田」のエピソードは有名

④ 戦国一の美女と言われた織田信長の妹、妻お市とともに豊臣秀吉に滅ぼされる

その他の記事についても柴田勝家にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

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