柴田勝家が築造した北ノ庄城、現在の福井市の基礎へ

 

幸福度No.1と言われる福井県。

その県庁所在地福井市は、

柴田勝家しばたかついえが基礎を固めたと言っても過言ではありません。

柴田勝家が築造した北ノ庄城きたのしょうじょう、そしてその城下町は今の福井市の原型ともいえます。

福井に幸せな人々が多いのは、今でも柴田勝家が見守っているからかもしれませんね。

 

柴田勝家によって築造された城や橋

柴田勝家

柴田勝家像
出典:Wikipedia

北ノ庄城

柴田勝家は元々愛知県出身の武士で、古くから織田家、織田信長に仕えており、信長が越前国の朝倉氏を滅ぼすと、勝家が統治することとなります。

柴田勝家が着任した当初は一揆などで町が荒れ果て、荒廃していましたが、勝家はシンボルの北ノ庄城を築造、城下町も整備。

続いて道路や橋なども整備することで、北ノ庄を復興することができました。

しかし、織田信長が本能寺の変で亡くなると、豊臣秀吉が実権を掌握。

織田家の重臣であった勝家は秀吉と対立。ついに直接対決。

敗れた勝家は北ノ庄城で愛する妻お市と二人で自害するに至りました。

北ノ庄城完成まで

北ノ庄城はもともと朝倉家の居城として重要な拠点として存在していました。

しかし、1573年、織田信長が朝倉家を滅ぼします。

1575年、柴田勝家は越前8郡49万石を与えられ、巨大な北ノ庄城を築造します。

しかしながら、1583年に豊臣秀吉が落城するまで9年間完成には至らなかったと言われています。

のちに、徳川家康が天下を取ると家康の二男、結城秀康が統治することとなります。

1601年、結城秀康が北ノ庄城を壊し、新たに福井城を築城することとなりました。

豪華な造り、北ノ庄城

現在、北ノ庄城に関する資料などは少なく、遺跡などもあまりありません。

しかし、ポルトガル宣教師のルイスフロイスなどの資料などが残っています。

その資料によると北ノ庄城下町は安土城の2倍以上あったとも言われています。

また、屋根は福井名産、青緑色の笏谷石しゃくだにいしを使用。

北に二の丸、三の丸を配し、外観5層、内部7階建ての立派な城であったと言われてます。

現在の北ノ庄城、福井城周辺

北ノ庄城は現在の柴田神社の地にあったと言われています。

福井城が築城され、その痕跡は見当たりません。

福井城は結城秀康により1607年完成、5重の堀を巡らせた壮大な城でした。

その後も越前松平家が守り、明治まで存続しますが、1669年の火災により福井城は消失します。

現在は福井県庁の所在地となっています。

半石半木?九十九橋の橋脚

九十九橋つくもばしは足羽川と北陸道とが交わる地に架けられた橋です。

この橋が当初、全国でも珍しい橋だということで非常に有名でした。

理由は半石半木で南半分が石、北半分が木で作られていたからです。

この橋も柴田勝家が福井の復興のため作らせたと言われています。

 

きょうのまとめ

柴田勝家が築造した北ノ庄城についてみてきましたが、いかがでしたでしょうか。

北ノ庄城とは、

① 北ノ庄城は柴田勝家が築城

② 北ノ庄城下町が現在の福井の基礎を作り上げた

③ 徳川家康の二男、結城秀康が北ノ庄城を壊し、新たに福井城を築城

④ 福井城跡は現在の福井県庁所在地となっている

と言えるのではないでしょうか。

柴田勝家について他にも色々と記事があります。

よろしかったらご覧になってみて下さい。

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