真田幸村の旗印といえば、「六文銭」で有名ですね。
ドラマなどでも真田幸村が「六文銭」の兜を被り、家臣たちはその旗印を持ち颯爽と戦場を駆け抜ける姿がみられます。
この紋はいつ頃から使われるようになったのでしょうか。
また、「六文銭」以外にも真田家にどういう家紋が存在していたのでしょう。
それらの持つ意味と、由来について探索してみましょう。
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真田家の様々な家紋
結び雁金(むすびつりがね)
真田家の家紋として平時用いられていたのは、「結び雁金」とよばれるものでした。
渡り鳥の「雁」をイメージしたもので、「雁」は幸せを運ぶ鳥と言われていたことによるものだと思われます。
雁の両羽を円形に捻った紋を「結び雁金」と呼び、雁紋の典型な形でした。
この家紋は平和な時に用いられていたようです。
州浜紋(すはまもん)
この家紋は、六文銭紋や結び雁金とともに真田家で使われた紋です、
州浜とは河口などにできる砂州の形からできており、めでたい紋と言われています。
六文銭
真田家の家紋として最もみなさんが目にするものがこの「六文銭」でしょう。
「六文銭」とは元々仏教の「六道銭」からきています。
三途の川の渡し賃として死者を葬る時に一緒に埋葬するものとされています。
「六道」とは
・餓鬼
・畜生
・修羅
・人間
・天上
をさすもので、「死後に生まれ変わった行き先」のことです。
三途の川を無事渡り成仏が叶うように祈って「六文銭」を死者に贈るのです。
真田家が「六文銭」を家紋にした由来は、この三途の川の渡し賃にあります。
つまり「戦さ場でいつ命を落としても構わない」という心意気を現しているのです。
この家紋が使われるようになったのは、幸村の祖父で武田二十四将に数えられた幸隆が武田信玄に仕えた時だという説があります。
しかし真田家の主家である海野一族が、紋や旗印として「六文銭」を丸に変えた「六連点」を用いていたことがわかっています。
真田家の「六文銭」は海野一族に由来するものと考えるのが妥当でしょう。
真田幸村は大坂の陣でこの家紋は使いませんでした。
それは敵の徳川方に味方した、兄・真田信之に迷惑がかからぬよう配慮したためでした。
この時幸村は赤一色の無地の旗指物を使っています。
家紋に込められたそれぞれの想い
「六文銭」をはじめ、「結び雁金」など、それぞれがその家紋の意味を持ち、目的ごとに使い分けられていたことがよくわかります。
真田家にとって「六文銭」はヒーローであった証のようなものです。
願うなら平和を象徴する他の家紋がいつも用いられていたら、
と平和ボケした現代の自分には思えてなりません。
戦国の世を熱く駆け抜けた真田幸村にとっては、
「六文銭」を持って命をかける時代こそ生きる意味を見出せたのかもしれませんね。
きょうのまとめ
簡単にまとめておきます。
② 有名な「六文銭」は、「戦さ場でいつ命を落としても構わない」という意味がある
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