斎藤道三といえば油売りの商人から一大名にまでなった人物です。
マムシと呼ばれるほど癖のある武将ですが、
どんな城に住んでいたのかとても気になります。
ご紹介しましょう。
斎藤道三も登場する明智光秀が主役の「麒麟がくる」がはじまりますね。
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どのように城主になったか?
道三が若いころ何をしていたのかいろいろと説があるようですが、
一説によると油売りをしていたといわれています。
その当時、
流通していた通貨の穴を油で通し、
もしそれてしまったら無料にするというパフォーマンスをして生計を立てていた
といわれています。
そうしたエピソードからして、只者ではなかったようです。
普段から人々の心理をうまくつく方法や、信頼を勝ち得る方法などにたけていたのでしょう。
もちろんそれだけでなく、その頭脳を補って余りある器用さも兼ね備えていたことがうかがえます。
そのパフォーマンスを目にしていた長井長弘に気に入られ、
家臣となり武将としての人生が始まります。
長井長弘のつてもあり、土岐頼芸に仕えるようになります。
この時、十二分に能力を発揮したのでしょう、
とても気に入られ頼芸の妾を妻として譲り受け、大きな権力を得るようになりました。
その後、頼芸が兄である政頼から家督を奪い取ることに貢献。
美濃の守護代である斎藤利良が死んだ後、稲葉山城城主になり、
大改装を行って自分なりの居城を作り上げることができました。
自分の地位を確固としたものにするため頼芸も追放し、
美濃の大名としての地位も築き上げることに成功しました。
武将にとっての城とは?
武将たちの住居、要塞、また攻撃を加えるための拠点とし用いられてきました。
いま私たちがよく知っている城は、1600年代ごろから使われ始めました。
つまり関ケ原の合戦前後です。
其の頃から戦い方も巧妙になり、防御の必要性や籠城しながらも攻撃を仕掛けられるように、
様々な工夫がなされるようになったようです。
山の上に建てられているものもあります。
建築するのは大変だったでしょうけれども、地形をうまく利用した攻めにくい要塞になりました。
丘の上に建てられた城は周りをよく見渡せるようになっており、
戦いをする際にも有利に事を運ぶことができました。
また平地でも巧みな城が建築されています。
石垣を築き、堀を設け、塀を巡らして迷路のようにしている城もあります。
このように武将にとっての城というのは、戦いを有利にするうえでも重要な拠点ですし、城持ち大名として権威と力を誇示する大きな役割がありました。
では、斎藤道三の城はどのようなものだったのでしょうか?
斎藤道三の城
稲葉山城を居城とした際、大改装をしたといわれています。
この城は、マムシと言われた道三が居城としただけあり、山を用いた山城でした。
前方には長良川があり、いくつかの山に囲まれた攻めにくい城となっています。
天守閣からは辺りが一望でき、かなり有利に働いたのではないでしょうか。
さらには関ケ原も近くにありますので、ある意味天下統一のかなめともいえる良い場所だったとも言えます。
この城は、織田家が何度も攻略しようとして失敗しています。
地形からしてもかなり攻めにくい城だったのでしょう。
のちに道三は家督を息子に譲り、鷺山城に移ります。
このころ織田家に濃姫が嫁くことになったことから、鷺山殿と呼ばれるようになりました。
この鷺山城は、稲葉山城と比べると小高い丘の上にあるとはいえ戦いには万全とは言い難い場所です。
結局最後は、息子の義龍に攻められてあっけない最期を遂げます。
きょうのまとめ
城は武将にとって「人生を大きく左右させるほど重要な役割がある」と言えるのではないでしょうか。
今度城を見る機会があれば、
少し違う角度から見てみる面白かもしれません。
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