吉田松陰 人を勇気づける名言5選

幕末の志士を育てた吉田松陰は山口県の萩市生まれです。

萩市立明倫小学校では昭和56年から毎朝、朝の会で松陰先生の言葉を朗唱しています。

学年が上がるにつれて、言葉も難しくなり、小学校6年生になる頃には多くの漢文を暗唱しています。

道徳という科目が一時期、学校から消えていましたが、松陰先生の言葉として

明倫小学校の子どもたちには日々道徳の心が刻まれています。

明倫小学校の朗唱文を含め、吉田松陰の残した名言を解説いたします。

多くの人に知られている有名な言葉だけでなく、隠れた名言も併せて知ることで、

より吉田松陰の考えや教えを学ぶことができます。

吉田松陰の名言5選

誠(まこと)は天(てん)の道なり

誠(まこと)は天(てん)の道なり 誠を思うは人の道なり

至誠(しせい)にして動かざるは 未だ之れあらざるなり

誠ならずして 未だ能(よ)く動かすはあらざるなり

意味
誠というものは人のつくったものではなく、天の自然に存する所の道である。

この誠というものに達しよう、得ようと思うのは人のあるべき道である。

学んでこれを知り、つとめてこれを行うのは人の道というべきものである。

このように、最大限の誠意を尽くしても動かない人はこれまで見たことがない。

誠意というものは全ての元になるもので、誠をもって人に接すれば必ず人の心は動くものだ。

出典:孟子の言

解説
野山獄で孟子に講じた折りに、吉田松陰が述べた感想や意見をまとめた書物があります。

孟子を尊敬し、何度も書物を読んで自らの行動に生かしたと言われています。

吉田松陰の名言と言えば必ず登場する言葉です。

誠意をもって人に接することもその一つで、江戸時代の身分制度にとらわれず、

誰に対しても松下村塾の門戸を開き、塾生として分け隔てなく誠意をもって接したそうです。

その気持ちが多くの塾生の心を動かし、後の歴史を変えていくことになるのです。

志を立てて もって 万事の源となす

志を立てて もって 万事の源となす

書を読みて もって 聖賢の訓(おしえ)をかんがう

意味
何事も志がなければならない。志を立てることこそ全ての源となる。

多くの本を読んで、聖人、賢人の教えを参考にして、自分の考えをまとめることが大切である。

出典:野山獄文稿

解説
吉田松陰は、野山獄で14ヶ月の間に600冊以上もの本を読んで、執筆も行っていたという

記録が残っています。

そのときに執筆した『野山獄文稿』の中には「志を持つこと」と「本をたくさん読み、

自分で考えること」の大切さが書かれています。

当時、外国の書物は禁じられていましたが、国内だけでなく、様々な人や国の考え方を

知ることは自分にとっても国の将来にとっても大切なことであると名言し、推奨しています。

松下村塾の弟子たちも、それぞれ志を立て、それに向かって行動を起こしました。

命をかけてでも行わなければならないことを行った結果、明治という時代がやってきたのです。

夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし

夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、

計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。

故に、夢なき者に成功なし。

意味
夢を持っていない者には理想がない、理想がない者には計画が立てられない、

計画が立てられない者には実行はできない、実行できない者には成功が訪れない。

したがって、夢を持たない者で成功した者はいない。

解説
意味のままですが、志を立てることと同じく、夢を持つことの大切さを言葉にしたものです。

夢→理想→計画→実行→成功というサイクルがあるため、最初の夢がないと全ての過程が存在しなくなります。

当時は江戸時代の終わりで、今と比べると多くの規制がありました。

言論の自由もなければ、身分制度も厳しい、職業の自由もないため、夢を持つこと自体が難しい時代でした。

夢を持っても実行することはもっと難しいのですが、最初の夢を持つことで、より理想が生まれ、計画を立て、実行できるというものです。

松下村塾の塾生も皆、初めから夢や志があったわけではありません。

様々な角度から物事を学び、自ら考えることで夢が生まれ、志となっていきました。

現代社会では情報がありすぎて目指すところが分からない、夢が持てない時代だとも言われています。

個人的な意見としては夢があっても計画や実行の部分で挫折してしまうのが怖くて、

夢を持たないようにしている人もいるのではないかと感じています。

一己の労を軽んずるにあらざるよりは

一己の労を軽んずるにあらざるよりは いずくんぞ 兆民の安きをいたすをえん

意味
自分自身、己のことも惜しまず働くようでなければ、どうして多くの人のために尽くすようなことができようか。

立派な人間になるためには自己犠牲も厭わない。

出典:松陰詩稿

解説
自分の命は自分のためではなく、「」のものであるという考えが松陰にはありました。

自分の苦労は人のため、自分が学ぶのは人のため、国家のためであると考え、

精一杯の力をいつも発揮し、自分が学べるときはいつも学び、身分に関係なく学問を共有し、

国家のために自分の命を捧げていました。

自分と弟子たちが学ぶことで国家を良い方向へと変えられると信じて、志としてきた松陰。

自分が惜しまず動くことで弟子たちの心も動かしたのでしょう。

死して不朽の見込みあれば

死して不朽の見込みあれば、いつでも死すべし

生きて大業の見込みあれば、いつでも生くべし

意味
死んで志が残るものであれば、いつでも死ねばよい。
生きて何か大きな事を成せるなら、いつまでも生きてそれをやれば良い。

解説
吉田松陰の愛弟子の一人、高杉晋作が師匠の松陰に「私はどう死ねばよいですか」と

尋ねたときの答えがこの言葉だったと言われています。

「大業」とは自分の使命のようなもので、使命が果たせたとき、人は天寿を全うするのだと言っています。

それが「志が残る」ということです。

逆に、使命を果たしていない人は「大業」を成すまでは生きていなければならないということです。

実際、吉田松陰の処刑後、次々と弟子(晋作の仲間)が動乱の中、命を落としていきます。

くじけそうになったとき、晋作はこの言葉を胸に奇兵隊を結成し、最期まで志を遂げようとしました。

吉田松陰が亡くなった後、弟子たちがその遺志をしっかりと受け継ぎ、

明治という世を作っていきました。

きょうのまとめ

人と違うから生まれた名言

吉田松陰は家の一角である3畳一間の部屋に軟禁状態のとき、松下村塾を開き、

弟子たちにたくさんのことを教えました。

素晴らしい君子のようなイメージのある吉田松陰ですが、元々は「思い立ったら即行動!」

という破天荒な性格の持ち主でした。

法律を破ってでも外国船に乗り込もうとしたり、長崎留学をしたりと故郷山口にはほとんどいませんでした。

大人になって故郷で過ごしたのは監獄に入れられ、家では軟禁状態、そんな状態ばかりでした。

当時の普通の人では考えつかないようなことを思いつき、できないこともチャレンジしてみる。

その経験があったからこそ名言がたくさん生まれたのではないでしょうか。










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