乃木希典の子孫はいるのか?息子二人は日露戦争で戦死

 

日露戦争では旅順の203高地攻略を指揮。

その後、軍神として乃木神社にお祀りされることとなった乃木ですが、

果たして子孫はいるのでしょうか。

そこで今回は、乃木希典の子孫についてご紹介していきます。

乃木希典の子どもたち

ではまず、乃木希典の子どもたちについてご紹介しましょう。

乃木希典は妻・静子との間に、二人の息子をもうけました。

実はあと二人、男の子と女の子が生まれましたが、いずれも生後間もなく亡くなっています。

長男・乃木勝典

乃木希典の長男として誕生したのが、乃木勝典(かつすけ)です。

勝典は父親と同じ軍人を志し、陸軍士官学校を受験します。

陸軍士官学校とは日本陸軍の士官候補生(つまり偉くなる人)を教育するための学校で、入学するのは非常に狭き門でした。

陸軍士官学校にラストチャンスで合格

戦前までは「 海兵・陸士・一高 」という言葉があったそうです。

これは最も優秀な人間は海軍兵学校へ、次に優秀な人間は陸軍士官学校へ、

その次に優秀な人間は東京帝国大学に進むための学校へ行くという意味だそうです。

陸軍士官学校へ入ることは、帝大に入るよりも難しかったということですね。

乃木勝典はそんな難関にチャレンジするも、二度不合格となってしまいました。

困ったことに、陸軍士官学校は3回しか受験することができない仕組みになっていたのです。

三度目の正直とでもいいますか、勝典はラストチャンスで合格をものにしました。

本当に良かったですね!

日露戦争で戦死

陸軍士官学校を卒業した乃木勝典。

日露戦争では第一師団歩兵第一連隊に所属し、清(現在の中国)へと出征します。

そして南山(なんざん)の戦いでロシア兵の銃弾に倒れ、出血多量により野戦病院で亡くなりました。

享年26歳でした。

現在、乃木神社の宝物館には、勝典が使用していたという指揮刀が展示されています。

次男・乃木保典も日露戦争で戦死

次男の保典(やすすけ)も陸軍に入りました。

苦労した長男とは違い、陸軍士官学校には一発で合格しています。

優秀な保典でしたが、後備歩兵第一旅団司令部付として日露戦争に出征。

203高地の攻略中、ロシア軍の砲弾を受けたのがきっかけで頭を岩場にぶつけて亡くなります。

享年24歳、長男・勝典の死からわずか半年後のことでした。

乃木希典の子孫はいない?

ご紹介したとおり、乃木希典の息子たちは二人とも日露戦争で命を落としています。

さぞ親としては辛かっただろうと想像できます。

旅順攻略の死傷者はおよそ6万人。

軍を率い、多くの若者の命を奪ってしまった乃木は、息子二人の死に対してこう言ったそうです。

これで世間に申し訳が立つ

これは責任ある立場にいた乃木希典だからこそ、出た言葉です。

乃木の二人の息子は、未婚のままこの世を去りました。

そのため、乃木希典の直系の子孫はいないと考えられています。

きょうのまとめ

今回は陸軍大将・乃木希典の子どもについてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

① 乃木希典は長男・次男を日露戦争で亡くしている

② 息子二人の死について「 これで世間に申し訳が立つ 」と述べた

③ 乃木希典の直系の子孫はいないらしい

こちらのサイトでは他にも、乃木希典についての記事をわかりやすく書いています。

ご興味をお持ちの方は、ぜひご覧になってくださいね!










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