ウィーン古典派の代表的な存在として、歴史上でも突出した音楽家に数えられる
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
彼は音楽の才能以外にもかなりの変わり者として知られ、逸話には事欠きません。
そのひとつに、ブルボン朝第5代のフランス王妃・マリー・アントワネットにプロポーズをしたというものがあります。
超有名人の二人が実は繋がっていたというのは、いかにもワクワクさせられるエピソードですね。
モーツァルトがアントワネットにプロポーズした背景には、いったいどんな事情があったのでしょうか…。
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マリー・アントワネットへのプロポーズとは?
今回主役の二人が出会ったのは、それぞれモーツァルトが6歳、アントワネット(当時はマリア・アントニアという名前)が7歳のころ、ウィーンのシェーンブルン宮殿での話です。
シェーンブルン宮殿でのプロポーズ
幼少期のモーツァルトは音楽家としての就職活動も兼ねて演奏巡業をしており、このときはアントワネットの母であるオーストリア女大公(領主)のマリア・テレジアの前で、演奏する機会を得たのでした。
神童と呼ばれていたモーツァルトの演奏はさぞ素晴らしいものだったのでしょうが、なにせ彼はやんちゃ坊主です。
この演奏会でも、マリア・テレジアの膝の上に乗ってイタズラするなど、やりたい放題だったとのこと。
そしてモーツァルトが暴れ回っていたからか、ピカピカに磨かれた宮殿の床で彼は思いっきり転んでしまうのです。
そのときに、モーツァルトに一番に駆け寄ってきたのがアントワネットでした。
転んでしまったモーツァルトは彼女が差し出した手を取ると、こういいます。
アントワネットが可愛らしい女の子だったというのもありますが、モーツァルトは彼女のその優しさに、一目惚れしてしまったのでしょうね。
アントワネットは浪費癖が激しく、わがままな王女様というイメージをもつ人も多いですが、こうした心優しい一面もちゃんとあるのです。
プロポーズは半年後にはなかったことに…
6歳にしてプロポーズをしてしまったモーツァルトに、アントワネットもそのときは喜んで応えたといいますが、二人の恋は結局実ることはありませんでした。
この可愛らしいプロポーズの半年後には、母テレジアによってアントワネットの結婚相手が決められてしまうのです。
相手はもちろん、後のフランス国王となるルイ16世。
当時のオーストリアは、近隣国のプロイセンとのいざこざもあり、フランスとの同盟をより強固にする必要があったのです。
こうしてアントワネットは政略結婚に巻き込まれ、モーツァルトとの関係は、単なる子ども同士の微笑ましいエピソードでしかなくなってしまいました。
音楽にも長けていたマリー・アントワネット
マリア・テレジアは、音楽への理解が深く、娘のアントワネットにも音楽の家庭教師をつけていました。
その甲斐もあってか、アントワネット自身も、音楽に人よりも長けていたといい、自身でハープの独演会なども開いています。
もし彼女がモーツァルトと結ばれていたら、さらなる音楽の天才が生まれていたかもしれませんね。
またモーツァルトとしても、いわゆる逆玉のこしで、晩年のように借金に苦しまされることはなかったのでは…など、二人の関係を巡っては、いくつも妄想が浮かんできます…。
モーツァルトの妻コンスタンツェは悪妻だった?
モーツァルトとアントワネットが結ばれたら…というのは単なる妄想に過ぎませんが、モーツァルトの実際の結婚生活はどうだったのでしょう。
彼が26歳のころに結婚したコンスタンツェは「世界三大悪妻」の一人だなんていわれたりします。
理由は彼女が
・浪費癖に拍車をかけたのはコンスタンツェだった
などというもの。
おまけにモーツァルトの死後は葬儀も正式には行わず、共同墓地に埋葬した際には最後まで見届けなかったため、遺体の行方は未だに不明…という話もあります。
これだけを聞くと、モーツァルトは大きな外れくじを引いてしまったように思えるでしょう。
しかし実はこれらがすべて事実だという根拠はなく、コンスタンツェが悪妻だというのは憶測でしかないのです。
一説には彼女はモーツァルトの作曲作業を傍らで支える良妻だったというものもあり、葬儀などの件も当時のモーツァルトの教会からの評価を考えると仕方のないこととされています。
またモーツァルトは演奏活動で家を空けることがたびたびあり、そのたびに妻にラブレターを送っていました。
コンスタンツェが悪妻なら、モーツァルトにここまで愛されていたでしょうか…。
晩年は借金こそ負ってしまいましたが、モーツァルトの結婚生活はきっと幸せなものだった…と思いたいものです。
きょうのまとめ
モーツァルトがアントワネットに、6歳でプロポーズをしてしまったという逸話は、
いかにも微笑ましいエピソードでした。
このほかにもモーツァルトの人生を辿ると恋愛の話が多く、彼が恋多き男だったことがわかります。
アントワネットの件は一見すると子供同士の他愛のないやり取りですが、ひょっとして幼少期からすでにモーツァルトは恋愛体質だったのかもしれません。
最後に今回の内容を簡単にまとめておきましょう。
① 幼少期のモーツァルトは、転んでしまった自分に手を差し伸べたアントワネットに一目惚れして、即座にプロポーズした
② アントワネットは音楽にも長けた少女だった。モーツァルトと結ばれていたら、さらなる天才が生まれていたかも?
③ 世界三大悪妻に数えられるコンスタンツェは、実はモーツァルトを傍らで支える良妻だった?
恋愛体質というと少々聞こえが悪いので、言い方を変えて…
モーツァルトはきっとすごく愛情深い人だったのでしょうね。
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