本居宣長|壮大なプロジェクトを成し遂げた珠玉の名言集!やまとごころを人問わば。

 

お医者さんの仕事やほかの執筆などをてがけながら

今なお古代史研究の基本テキストとなる全44巻の超大作『古事記伝』を

35年かけて書き上げた

史上最大の国学者

本居宣長もとおりのりなが

いかにしてそれほどの不屈の巨大事業をやりとげたのか。

彼の名言集からかえりみ、じっくり味わってまいりましょう。

 

本居宣長の名言

本居宣長もとおりのりなが

本居宣長四十四歳自画自賛像
(部分) 安永2年(1773年)
出典:Wikipedia

それでは早速、本居宣長の名言をみていきましょう。

まず一発目はこれです!

外の義に心移し申さず。

外の義に心移し申さず。ただただ一筋に医学修行専一にせよ

ほかのことに心を移しちゃいけないよ。

ただただ医学だけを見て・・・。

これ、宣長ご本人のものではありません

彼のお母さんからの手紙に書かれたものです。

宣長は伊勢商人で有名な松坂(今の松阪)の木綿仲買商家の出身。

しかし、どうも家業に向いていなかったらしく、

本人はたっての希望でお母さんにお願いします。

そうして許しを得、お母さんに借金までさせて

「医学」「儒学」を修めに京都にやってまいりました。

ただ宣長、

「詩歌」「和歌」「古典」「神道」などをだんだんかじるようになっていっちゃいました。

お酒は”なかなか”だったようですし、

詩会、観劇、狂言、歌舞伎

に顔を出し、

なぜか乗馬までやっていたようです。

外の義に”なかなか”ですよ。

そんな宣長にお母さんは、

「体があまり強くないんだから」

と手紙の中で心配しています。

「風邪をひかぬように」

「寝冷えせぬように」

「食事に注意するように」

宣長もその辺の苦労が伝わってきたのか、

いつしれずシャンとしていったようです

(結局、この人が後世に名を大いに残したのは思いっきり”外の義”の方なんですけどね)

宣長さんもいろいろあったんですね。

さあここからがいよいよ、ことをなすにあたっての

偉人による偉人らしい珠玉の名言集本番とまいりますか!

才のともしきや、学ぶことの晩(おそ)きや

才のともしきや、学ぶことのおそきや、暇のなきやによりて、思いくずおれて、止まることなかれ

才能がない。勉強を始めるのが遅かった。暇がない。と思いくずれて、やめてしまうことのないように。

さすがに医業などとの掛け持ちをしながら35年もかけて世紀の大作『古事記伝』を書き上げただけの力あふれる名言です。

エジソンも言っております。

「99%の努力と1%のひらめき」

ひねた私などは、

「それは数少ない成功者ゆえの弁だ」

などと思ったりもするのですが、

ただはっきり言えることは、やめたら次また始めないかぎりそれでおわりなのですね。

そして彼らの場合、そんなに好きでやりがいにあふれる分野だからそこまでがんばれたのでは?

かぎりを行うのが人の道にして

かぎりを行うのが人の道にして、そのことの成ると成らざるとは人の力のおよばざるところぞ

人事を尽くして天命を待つ

ということですね。

私などはつい事の成否が気になってしまうのですが、

そうやって基準を”他者”に安易に預けるんじゃなくて、

”自分”の中の基準をまずまっとうしろ、ということでしょう。

人の情の感ずるとこ、恋にまさるはなし

人の情の感ずるとこ、恋にまさるはなし

人間の最大の感情は恋心です!

『新古今和歌集』などの繊細ではかない情感

「もののあわれ」

を大事にした宣長らしい発言です。

そうです。

この人はその代表作『古事記伝』の影響で

『万葉集』のような「ますらおぶり」で雄々しいのが好みと思われているかもしれません。

でも実は?

そしてこれです。

世の中のありとあらゆることの様々を

目に見るにつけ、耳に聞くにつけ、身にふるるにつけて

そのよろづのことを味わひて、そのよろづのことをわが心を知るなり。

その中にもなおくはしくわけて言はば、わきまへ知るといふものなり。

わきまへ知りて、そのしなにしたがひて感ずるところがもののあはれなり。

そこで彼の代表歌をいってみましょう。

敷島(しきしま)の 大和心(やまとごころ)を

敷島しきしまの 大和心やまとごころを 人問わば 朝日ににおう 山桜

「敷島の」は「大和」の枕詞。

「大和心」は日本人の心

「山桜」は山などによく咲いている桜の原種の一つです。

 

きょうのまとめ

この人はそれでいて、

「農業を大事にしろ」

と言ったりもしています。

田沼時代で地元伊勢松坂は相当な盛況だったでしょうに。

でも、宣長の言は的中したのか、

まもなく天明の飢饉が起こってバブルも田沼意次の権勢もあっけなく終わってしまいます。

まあそれとやっぱり、

この人はそういうビジネスライクなのがどうも性に合わないんでしょうね。

① 本居宣長は京都遊学先で当初お母さんの心配をよそに”外の義”に心を移しまくっていた

② 本居宣長は成功には「努力」と「継続」の必須を説いた

③ 本居宣長は「もののあわれ」に心を寄せる実は結構人情味あふれるお人?

この人、

服装もちょっと変わっていて、

医者なのになぜか居士こじ(出家せずに修行をする仏教信者。千利休など)みたいなかっこうをしていたようですよ。

また、

やたらが好きで、知り合いらにいっぱい鈴をもらって、自分の書斎を「鈴屋すずのや」と呼んでいたようです。

不思議な人ですね。

なぜでしょう。

宣長さんはこう言うんじゃないですか。

「理屈じゃない。感じなさい。」

 
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