宮本武蔵とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

宮本武蔵

 

宮本武蔵と聞くと何を思い浮かべますか?

「ああ、なんかすごい強い人」とか「決闘で勝った人」とか、

そんなイメージではないでしょうか。

剣豪・宮本武蔵とはどんな人物だったのでしょうか。

 

宮本武蔵はどんな人?

プロフィール
宮本武蔵

出典:Wikipedia

  • 出身地:播磨(現在の兵庫県)美作国(現在の岡山県)の説もあり。
  • 生年月日:1584年
  • 死亡年月日:1645年6月13日(享年 62歳)
  • 数々の決闘で一度も負けなしの、天下無双の剣豪

 

宮本武蔵 年表

年表

西暦(年齢)

1584年(1歳)播磨国に生まれる。(幼名、辨助べんのすけ)

1596年(13歳)新当流の有馬喜兵衛と決闘して勝利する。

1599年(16歳)秋山某(新左ェ門)と決闘して勝利する。

1600年(17歳)関が原の戦いに参加。

1604年(21歳)吉岡清十郎、伝七郎、又七郎と決闘して勝利する。

1607年(24歳)伊賀の鎖鎌の使い手・宍戸梅軒と決闘して勝利する。

1610年(27歳)柳生新陰流大瀬戸隼人、辻風典馬と決闘して勝利する。

1612年(29歳)巌流島で佐々木小次郎と決闘して勝利する。

1614年(31歳)大阪の陣に参加。

1622年(39歳)東軍流の三宅軍兵衛と決闘して勝利する。

1637年(54歳)島原の乱に養子・伊織と共に参加。

1640年(57歳)細川忠利の客分として肥後・熊本に招かれる。

1641年(58歳)兵法三十五ヶ条を書く。

1643年(60歳)霊巌洞にこもり、五輪書を書きはじめる。

1645年(62歳)五輪書完成。病気が重くなり、亡くなる。

 

「兵法家」「剣術家」「芸術家」3つの顔を持つ宮本武蔵

宮本武蔵は天下無双と言われる「剣豪」でありながら、

「兵法家」でもあり「芸術家」でもある、という3つの顔を持っています。

強いだけでなく、多彩な才能を持っていたんですね。

・正面達磨図

・盧葉達磨図

・盧雁図屏風

・野馬図

など数々の作品を残しています。

国の重要文化財に指定されているものもあり、芸術家としても素晴らしいと言えます。

武蔵は自分のことを「兵法家」と称しています。

「兵法家」とは戦術を説くわけですから、勝つことが目的になってきます。

潔く戦って潔く負ける、という武士やサムライの考えとは少し違います。

「どんな手を使っても勝つ」と言った武蔵の考えは、時に卑怯者と呼ばれます。

佐々木小次郎との巌流島の戦いがいい例ですね。

遅刻して、相手から冷静さを奪って勝つ、と言う戦法は確かに卑怯と言えなくもありません。

戦いにおいて冷静さを失った小次郎が悪いのか、

武蔵が卑怯だと思うかは人それぞれの考え方です。

 

関連記事 >>>> 「色々な説がある!宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い」

 

宮本武蔵にまつわるエピソードや伝説

宮本武蔵にまつわるエピソードや伝説についてご紹介します。

兵法の極意「五輪書(ごりんのしょ)」

宮本武蔵と言えば「五輪書」と思う方も多いかもしれません。

「五輪書」は武蔵が兵法の極意を記した書物です。

「地・水・火・風・空」の全5巻で構成されていて、それぞれ次のような内容です。

地の巻:武蔵の生涯と兵法

水の巻:剣の持ち方や構え方など、実際の剣術

火の巻:戦いにおいての心構えなど

風の巻:他の流派のこと

空の巻:兵法の本質

この「五輪書」はさまざまな言語に訳されて世界で出版されています。

また、オリンピックを「五輪」と言いますが、

これは「五輪書」の書名を由来として、読売新聞社の記者が考案した訳語です。

大の風呂嫌い

実は武蔵は大の風呂嫌いで有名でした。

江戸時代初期のお風呂は湯船ではなく、蒸気浴が一般的でした。

それでも当時の人はこぞって銭湯へ行っていたと言います。

しかし武蔵は、お風呂というものに生涯入らなかったと言われています。

お風呂が嫌いなだけで、水浴びはしていたのかもしれませんが、

それにしたって一度もお風呂に入らないって、ちょっと・・・。

武蔵は髪も伸び放題で、あまり身なりに気を使う人ではなかったようです。

実際、見た目が悪いと言うことで剣術指南役の候補から外されたこともありました。

やっぱり天才は人とどこか違うのですね。

最強説は嘘?

最強の剣豪と言われている武蔵ですが、この話しは脚色ではないか?

と言われています。

武蔵は20代で60数回の決闘をして、負けなしだったと言われています。

この回数は、武蔵自身が「五輪書」で書いたものです。

20代で60回ですから、2ヶ月に1回は決闘していたことになります。

ドキドキハラハラな日々すぎやしませんか。

また吉岡一門との決闘では、70人と戦って勝ったと言われています。

諸説ありますが噂に尾ひれが付いて「武蔵最強説」が生まれたのではないか、

と言うのが歴史家の見解です。

 

きょうのまとめ

宮本武蔵についてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。

宮本武蔵とは?

① 「兵法家」「剣術家」「芸術家」3つの顔を持っていた

② 兵法の極意「五輪書」を書く

③ 大の風呂嫌いで一度もお風呂に入らなかった

④ 最強説には諸説あり

その他の記事についても宮本武蔵にまつわる色々な記事を書いています。

よろしければどうぞ御覧ください。

 

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2 件のコメント

  • コロナ待機で宮本武蔵の映画の一乗谷の戦いをいま見ていて、宮本武蔵の戦いの歴史載ってないかなとネット調べで最初にクリックして、どれくらい前につくったサイトかなと日付みたら、なんと今日だったどんぴしゃなので、メールしました。宮本武蔵は常々すごい無敗生き方等気になっていたので、世の中で宮本武蔵を意識している人がやはりいるのだなとおもいました。岡山の作州へ以前いって生家みてきたことあります、役立ちましたこのサイト。

  • ご覧頂きありがとうございます!コメントもありがとうございます。
    お役に立てたようでうれしいです。
    厳しい状況ですが、自宅待機頑張りましょー。

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