ミケランジェロの4つのピエタから見る「生・老・死」

 

キリストは人々の罪を引き受け、はりつけによってたおれました。

そんな死体によりそい嘆く聖母マリアの姿。

これを美術用語で「ピエタ」と呼びます。

ミケランジェロが残した「ピエタ」は全部で4作品。

一人の男があらわした「生・老・死」への思いをみつめてみましょう。

 

聖歌『スターバトマーテル(悲しみの聖母)』よりⅠ

さあ、御母よ、愛の泉よ

私にもあなたの強い悲しみを感じさせ

あなたと共に悲しませてください

私の心を燃やしてください

神なるキリストへの愛で、

その御心にかなうように

~出典『wikipediaスターバトマーテル』より~

 

ミケランジェロ4つのピエタ

バチカンのピエタ

出典:Wikipedia

ミケランジェロが残した「ピエタ」第1作は今のバチカン市国サンピエトロ大聖堂にあります。

作成当時23~25才。

とても大理石から掘り出されたとは思えないわずかな風に衣服がそよぐようなやわらかさ。

そして、ついさきほどまで本当に生きていたのではないか、というほどに生めかしいキリストの死体。

まだ若いミケランジェロの生があふれでております。

このころミケランジェロはたくさんの聖母子像を作っております。

つまり、まだおさないキリストと聖母マリアの像です。

ミケランジェロの母は彼が6才の時に病気で亡くなっております。

ミケランジェロは間もなく石工の家に里子に出されました。

フィレンツェのピエタ

出典:Wikipedia

ミケランジェロ70代のころにたずさわった作品です。

このころになると自分と仲の良かった人々が次々と先立ってゆきました。

このピエタは十字架から降ろされるキリストの死体。

左右を聖母マリアとマグダラのマリアがかいがいしく抱え、背後から両わきをすくっているのはニコデモという老いた神学者。

ミケランジェロはこのピエタを自分の墓にかざろうとしておりました。

パレストリーナのピエタ

構図はフィレンツェのものとほぼいっしょです。

ただ、バチカン→フィレンツェ→パレストリーナと、順を追ってだんだんとその味わいが変わってきているのがわかるでしょう。

鮮やかな写実描写が失われてゆくかわりに、ぼんやりと、でも心の中にじんわりと。

そして、その最終局面ともいうべきものが、ミケランジェロが死の間際にまでその制作に打ち込んでいたという次の作品です。

ロンダニーニのピエタ

出典:Wikipedia

そこにあるのはキリストと聖母マリアだけ。

どこまでも静かです。

自身、死というものに寄り添っているからこそできる表現。

友人が作品を見ようとするとミケランジェロは急いで明かりを消したとのこと。

そんなミケランジェロの心の奥深くを垣間見ましょう。

 

聖歌『スターバトマーテル(悲しみの聖母)』よりⅡ

どうかキリストの死を私に負わせ、

どうかその受難を共にさせ、

そしてその傷に思いをはせさせてください

どうかその傷を私に負わせてください

どうか私に十字架を深く味わわせてください

そして御子の血を

……(中略)……

肉体が滅びる時には

どうか魂に、栄光の天国を

与えてください。アーメン

~出典『wikipediaスターバトマーテル』より~

 

きょうのまとめ

ミケランジェロは彫刻や絵画だけでなく、詩作にもすばらしいものを数多く残しております。

20代のころには

「僕は一人影の中にとどまって燃える」

と詠(うた)いあげました。

ところが、最晩年になると、

「かつて私があやつった人形(作品のたとえ)にうぬぼれたこともあった。

……(中略)……

今は鼻汁におぼれる自分の寸法を測っている。」

と、そんな自分一生の業績に絶望しております。

十分すぎるくらいに“生きた”じゃないか、と思います。

が、それでもまだはるかに夢見ているところがミケランジェロの大きさの源です。

① ミケランジェロは一生に4つのピエタを残した

② ミケランジェロのピエタは製作された年代によってその味わいがだんだんと変わってゆく

③ ミケランジェロは自身の芸術にはるか彼方の高みを夢見ていた

ミケランジェロが芸術に夢見たものとはどんなものだったのでしょう。

 

ミケランジェロの年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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