私はミケランジェロの代表作ダビデ像を“うまいだけ”だと思っておりました。
でも、ある写真を見て私は心が止まりました。
そして、(観る者として)敗北感が後から後から容赦なく押し寄せてまいりました。
(なんだこれ!?)
そうなんです。
この像は高さ4m越え。
本当は人が“見上げる”ことを前提に設計されているのです。
その視点から伝わる“すごみ”。
まだ若い天才ミケランジェロとルネッサンス花やいだ都市フィレンツェの情熱をのぞいてみましょう。
花の都フィレンツェ
イタリア中部にある花の都フィレンツェ。
その名前はローマ時代における花の女神フローラに由来します。
フィレンツェは13世紀に独立。
やがて、銀行業で力を付けたメディチ家が事実上の支配者となります。
そして、メディチ家はその豊かな経済力で学問や美術を積極的にバックアップします。
まだ若いミケランジェロもメディチ家のもとで、そのたぐいまれな能力を花開かせてゆきました。
けれども、そのメディチ家も汚職やあまりに多い財政赤字から失脚してしまいます。
すると、その後フィレンツェの政治的実権をにぎったのは修道僧のサヴォナローラ。
サヴォナローラはキリスト教の教えにできるだけそった清らかなやり方でフィレンツェを改革してゆこうとします。
しかし、そのあまりにもの極端さにフィレンツェ市民がついていけなくなり、サヴォナローラも失脚。
フィレンツェの統治は様々な勢力の代表の話し合いによってものごとを決める共和制に変わります。
ミケランジェロがフィレンツェから『ダビデ像』制作を任されたのはこのころです。
そして、『ダビデ』というモデルには当時のフィレンツェが抱えていた課題がはっきりと映し出されていました。
『ダビデ像』の意味
『ダビデ』とは紀元前に栄えたイスラエル王国の偉大な王です。
『ダビデ』がまだ羊飼い出身の一青年だったころ、イスラエルはペリシテ人と戦争になりました。
ペリシテ人側にはゴリアテという大変な巨人がおり、イスラエル軍を悩まします。
ちなみに、ある天空をかけめぐる日本アニメーションにおいて敵方の巨大戦艦がこの名前です(ム〇カ大佐「はっはっは。サッサと逃げればいいものを」)。
無謀にも、石つぶてと投石器だけをたずさえた『ダビデ』は、武装したゴリアテと一騎打ちを挑みます。
そして、なんとその石つぶてを相手の額に命中させ、やっつけてしまいます。
ミケランジェロの『ダビデ像』とはゴリアテに対し、石を投げようとする緊張感がみなぎったその瞬間。
当時のフィレンツェは小国です。
周りはローマ教皇やヴェネツィア、フランス、オーストリアなどの巨大勢力に囲まれています。
さらには旧領主のメディチ家も「すきあらば」とうかがっております。
こういった「強敵に勝つんだ」という意思が『ダビデ像』に現れているのです。
ミケランジェロのこだわり
さて、天才ミケランジェロ、ここでひとつ重要問題を起こしてしまいます。
これはミケランジェロのスタイルです。
「自然にあるべきものをみんなひっくるめて自然に出す!」
『ダビデ像』、どう見ても素っ裸です。
「これを国のシンボルに」
しようというのですから、いろんなところから反対意見が出るに決まっています。
運ぶ途中の『ダビデ像』に石を投げつける市民まで出てくる始末となりました(ダビデが投げつけられるなんて……)。
きょうのまとめ
ミケランジェロは『ダビデ像』を知り合いに見せるとこう言われました。
「ちょっと鼻が大きすぎないか」
そこで、ミケランジェロが鼻のあたりをノミでたたくと、そこから“けずりクズ”がこぼれてきました。
「これでどうだい」
とミケランジェロは言います。
知り合いは
「ちょうどよくなった」
とうなづきました。
でも本当のところ、ミケランジェロがこぼした“けずりクズ”はあらかじめその手ににぎられていたものです。
つまり、ノミを打つふりにあわせてうまくこぼして見せていたのです。
とてもガンコ。
そして、大事なもののためならサラッと演技芝居でもやる。
この辺がなんともミケランジェロらしいところです。
① フィレンツェはルネッサンス花やいだ芸術の町
② フィレンツェは『ダビデ像』に「強敵に勝つ」という思いをこめた
③ ミケランジェロによる『ダビデ像』への芸術的こだわりが市民に石を投げつけられることとなった
ちなみに今のフィレンツェは、いくつかの世界的ブランドメーカーが本店を構えております。
また、タレントで靴職人の花田優一さんが修行したのもここです。
ルネッサンス時代のハイセンスな芸術の伝統は450年以上経った今も色濃く息づいているのです。
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