明治天皇には皇后の他に側室が7人もいた!?

 

明治天皇の奥さんといえば昭憲皇太后。

実は昭憲皇太后、大正天皇の実母ではないことをご存知でしょうか。

彼女との間に子ができなかった明治天皇は、7人の側室を置いたといわれています。

そこで今回は、

明治天皇の側室と大正天皇の実母についてご紹介していきますね。

 

公になっている明治天皇の側室5人

7人いたとされる明治天皇の側室のうち、公になっているのは5人。

いずれも公家出身の女官でした。

それではそれぞれの方について、簡単に紹介します。

葉室光子

葉室(はむろ)光子は男児を出産しますが死産。

しかも光子自身も5日後に亡くなりました。

なお、このときシーボルト(※)の娘・楠本イネが出産に立ち会っています。

※ 江戸時代のオランダ商館医師。鳴滝塾で医学を教えたことで有名なドイツ人。

橋本夏子

橋本夏子と明治天皇の間には女児ができますが、死産。

そして、またもや夏子も出産の翌日に亡くなっています。

明治時代とはいえ、やはり出産は命懸けだったのですね。

柳原愛子

柳原愛子(やなぎわら・なるこ)は、明治天皇との間に2男1女をもうけました。

ですが、成人できたのは男の子1人だけ。

他の2人は夭逝(ようせい)しています。

愛子本人は満84歳まで長生きし、大正天皇の妃・貞明皇后の教育係なども務めました。

園祥子

園祥子(さちこ)は、明治天皇の寵愛(ちょうあい)を最も受けた人物といわれています。

明治天皇の間には2男6女をもうけました。

そのうち2人の男児と2人の女児は夭逝しています。

なお、成人した昌子内親王は、テレビなどでお馴染みの竹田恒泰さんの曾祖母にあたります。

千種任子

千種任子(ちぐさ・ことこ)は明治天皇の間には2女をもうけました。

しかし二人とも夭逝しています。

大正天皇は皇后の子ではない

冒頭で大正天皇の実母は昭憲皇太后ではないことをお伝えしましたが、誰の子かもうお分かりですね。

明治天皇は側室たちとの間に5人の男児をもうけましたが、成人した子は一人しかいません。

ということで、大正天皇を産んだのは柳原愛子でした。

女性天皇問題が議論されて久しい昨今。

このように見ていくと、男の子が生まれて健康に育つことは大変なことなのですね。

 

きょうのまとめ

今回は明治天皇の側室だった女性たちについて、簡単にご紹介しました。

① 明らかになっている明治天皇の側室は5名

② 明治天皇は5男10女の子をもうけた

③ 大正天皇の実母は柳原愛子だった

こちらのサイトでは、他にも明治天皇にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。

 

明治天皇の【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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