豊臣秀吉の天才軍師黒田官兵衛の長男、
黒田長政。
関ヶ原の戦いでも大活躍し、徳川家康からも絶大な賞賛を得たことでも有名です。
その黒田長政はどのような家紋を用いていたのでしょうか。
今回は黒田長政の家紋についてお伝えします。
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黒田長政の家紋その1「黒餅紋」
竹中半兵衛からもらった!?
黒田家の家紋は「黒餅紋」もその一つです。
白地に黒で丸を描いた、とてもシンプルな家紋です。
ちなみに、黒地に白抜きで丸を描いたものを「白餅紋」と呼ばれています。
黒田長政の黒餅紋は、竹中半兵衛の白餅紋から譲り受けたものと言われています。
竹中半兵衛といえば、黒田長政の命を助けた武将としても有名です。
そのエピソードがこちらです。
織田信長は人質としていた、黒田官兵衛の息子の黒田長政の処刑を指示します。
しかし、黒田官兵衛の同志である竹中半兵衛が、敢えて処刑請負人を申し出ます。
実際は処刑していなかったが、信長には処刑したと報告しました。
竹中半兵衛は黒田官兵衛を信じ、息子の黒田長政を助けたのです。
その後、黒田官兵衛の謀反が勘違いだったことに気付いた織田信長は竹中半兵衛に感謝したそうです。
当時、竹中半兵衛と黒田官兵衛は、豊臣秀吉の天下統一を支え「両兵衛」、または「二兵衛」とも呼ばれました。
黒田長政は、命を助けてもらった父の同志、竹中半兵衛から家紋、黒餅紋を譲り受けました。
「石餅(石持)」紋の由来
黒餅紋や白餅紋は、総称として「石餅(石持)紋」とも呼ばれています。
「石持」は「石高が増える=加増を受ける」に通じ、縁起のよいものとされ、多くの武家に愛用されてきました。
竹中半兵衛がこの石餅(石持)紋を用いたエピソードが残っています。
しかし、懐に持っていた鏡餅が矢を防ぎ、命を救った。
竹中半兵衛はそれ以来、白餅紋を用いていたようです。
竹中半兵衛からもらった石餅(石持)紋は、黒餅紋として黒田長政の肖像画や兜に、今でも多く残されています。
黒田長政の家紋その2「藤巴紋」
主君、小寺家の家紋
そして、黒田長政が用いた有名な家紋のもう一つが「藤巴紋」です。
黒田家は藤巴紋を替紋としていますが、実際黒田家の家紋としては藤巴紋が印象強いかもしれません。
もともと黒田家は西播磨の大名、小寺家に仕えていた武将でした。
この小寺家が用いていたのが藤橘巴で、主君、小寺家の家紋を用いたことが背景です。
しかしこの背景以外にも、黒田長政の父、黒田官兵衛がこの藤巴紋を愛用することになったエピソードがあります。
黒田官兵衛は織田信長に謀反を起こした荒木村重を説得に行った際、身柄を拘束され投獄されてしまいます。
(織田信長はこの投獄を知らず、黒田官兵衛も謀反したと勘違いしました)
背後に溜め池のある土牢に入れられ、陽もささない、湿気の多いジメジメとした洞穴のようなところだったそうです。
そこに一年以上にわたって幽閉された黒田官兵衛は、窓の外に見える藤の花に勇気づけられました。
つらい獄中生活に耐えていた黒田官兵衛は、藤の花が生きる力を与えてくれたそうです。
ついに解放された黒田官兵衛は藤巴紋を家紋とすることに決めたそうです。
「藤巴紋」の由来
藤巴は蛇が絡み合っている姿にも見えます。
日本は縄文時代から蛇信仰があり、蛇に相似のものを蛇に見立てて、それを信仰し神聖化していました。
その傾向は戦国武将にも受け継がれ、蛇を象った家紋の一つが藤巴とも言われています。
「巴」という文字は、どぐろをまく蛇を象った文字で、蛇・渦巻きの意味で、蛇を非常に強く意識した家紋だと言われています。
その他、黒田長政の家紋について
黒田長政は黒餅紋と藤巴紋に加えて、「三つ橘紋」や「永楽通宝(永楽銭)紋」も併用していました。
三つ橘紋は以前の主君であった小寺家の、藤橘巴紋の「橘」を抜き出したものと言われています。
また永楽通宝(永楽銭)紋を用いるようになった背景などは詳細に記録は残っていません。
しかし、黒田家が小寺家に仕える以前に永楽銭紋を用いてた可能性があると言われています。
きょうのまとめ
黒田長政の家紋について見てきましたが、いかがでしたでしょうか
黒田長政の家紋は、
② 有名なもう一つの家紋は「藤巴紋」
③「藤巴紋」の由来は蛇信仰と結び付いている可能性がある
④「三つ橘紋」や「永楽通宝(永楽銭)紋」も用いていた
と言えるのではないでしょうか。
黒田長政については、他にも色々な記事があります。
よろしかったらご覧になってみて下さい。
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