項羽は最強!武勇伝まとめ

項羽(こうう)という人物について、覚えていらっしゃいますか?

彼は高校では世界史に登場するほか、国語の古典の教科書にも登場し、日本人でも聞き覚えがある中国の武将です。

ちなみに、高校の古典の教科書には「鴻門(こうもん)の会」、「四面楚歌(しめんそか)」が掲載されていることが多く、

彼の権力が強くなっていた時代と、彼の最後について学ぶことができます。

今回は、項羽が強かったころの武勇伝についてまとめていきます。

三国志に登場する武将の中でも特に強かった

項羽は最後に垓下(がいか)の戦いで劉邦(りゅうほう)に敗れて敗走し自殺してしまいますが、劉邦と戦うまでは戦で負けたことがない、とても強い武将だったのです。

陳勝・呉広(ちんしょう・ごこう)の乱の際に世間の混乱に合わせて挙兵した彼は、秦軍を破った後に西楚の覇王(はおう)と自らを称し、一時は天下に号令したことすらありました。

また、

劉邦との戦いで敗走している際には、かつて項羽が一度天下に号令するほどの権力があったこともあり、彼を逃がそうとした人々が存在した

という記録も残っています。

強い武将として三国志の呂布(りょふ)もよくあげられますが、実は彼は何度か負け戦を経験しています。

そのため、武功の面だけで見れば、項羽は呂布よりも強い、無敗の武将だったのです。

ちなみに、項羽は23歳で若くして挙兵してから30歳という短い生涯を閉じるまでに70戦以上を戦っています。

項羽の主な武勇伝

長官をその場で倒す

始皇帝が死去してから農民の陳勝と呉広が反乱を起こすと、多くの人々がその乱に乗じて中国全土すら巻き込んでしまうほどの大反乱になります。

そして、国中で長官など高い地位の人々や県令が殺されるようになってしまいました。

それほど荒れた世の中だったために、保身のために何と秦の高官でありながら反乱に便乗する人も続出しました。

項羽に殺された殷通(いんつう)も、保身のために反乱軍に加わろうとした長官の一人です。

殷通は、当時人望が厚かった項羽の叔父である項梁(こうりょう)に自分が起こす反乱軍の将軍になって欲しいと頼みましたが、何と断られてしまいます。

項梁は自分が将軍になる代わりに甥である項羽を反乱軍の将軍として推薦し、殷通に自分で項羽を呼んで将軍になるように頼めと助言します。

それを聞いた殷通はすぐに項羽を自分のもとに呼び寄せますが、項羽は刀を持ったままその場にやってきて、殷通のを切り落としてしまうのです。

その後殷通の部下によって項羽が殺されるかと思いきや、襲ってきた部下の数十名をたった一人で切り倒してしまったために、

彼の気迫に圧倒されてしまった残りの殷通の部下達は項羽に対して忠誠を誓ったとされています。

ライバルが認めるほどの強さ

項羽は劉邦に負けたことで自殺に追い込まれていきますが、項羽の強さについては劉邦もしっかりと認めていました。

自分は蕭何(しょうか)・韓信・張良などの優秀な部下がいて、彼らの知恵と力を借りたから勝利できた。

だが、項羽はたった一人の部下からも信頼してもらえず、何でも一人でこなそうとしたから敗れたのだ。

というような言葉を劉邦は残しています。

逆に言えば、優秀な部下の存在がなければ項羽に勝つことはできなかった、項羽にもっと部下からの人望があれば自分は項羽に勝てなかったということにもなるのではないでしょうか。

きょうのまとめ

いかがでしたか?

今回は項羽が本当に強かったという武勇伝をいくつか紹介しました。

実は、若い頃の項羽は勉強が嫌いでしっかりと勉強をせず、

剣術に関しても一通り学んだだけで、熱心に学んだわけではない、という記録が残っています。

それでも身長が高く力も強く、人を惹き付ける力ともともとの才能があって武将としての才能を開花させることができたようです。

もしももう少し項羽の人柄が温厚で最後まで多くの部下からの確かな信頼があれば、

中国史は大きく変わっていたかもしれません。










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