項羽の最後から学ぶ

 

三国志の中でも特に強い武将として知られている項羽ですが、彼の最後は悲惨なものでした。

今回は、項羽の最後についてまとめていきます。

一時は天下を統一する勢いで戦に勝ちまくり、

ライバルである劉邦(りゅうほう)にも自分の強さを認めさせていた項羽の悲しい最後から、

何か学べることがあるのではないでしょうか?

是非最後まで読んでください。

項羽の命運を分けた戦

それまで負け戦を知らなかった項羽が劉邦に負けた戦が、垓下(がいか)の戦です。

垓下の戦いが起こるまでに、項羽が率いる楚軍食糧不足に悩んでおり、

劉邦が率いる漢軍劉邦の負傷や、劉邦の父である劉太公が楚軍に捕らわれていたなどの理由があり、両軍とも戦いを休戦を望んでいる状態でした。

これらの状況もあって、天下を二分することで戦いを止めるという盟約が結ばれていたのです。

戦い休止の盟約が結ばれた後に、楚軍は本拠地への帰還を始めましたが、劉邦の部下である張良と陳平は、

今が弱っている楚軍を滅ぼすチャンスです

と劉邦に進言します。

部下の進言を受けた劉邦が盟約に背いて楚軍の追撃を行ったことで、後に垓下の戦いへと発展したのです。

裏切りに気づいた項羽は漢軍への反撃を開始。漢軍は大きな被害を受け、城の中に入って守りに徹し、援軍を待ちます。

劉邦は韓信と彭越(ほうえつ)という武将の助けを得て戦いを再開。

味方の軍が合流したことや、楚軍の武将の寝返りなどがあり戦いを好転させこの戦いは劉邦率いる漢軍が勝利します。

敗走する項羽

集落の長からの手助け

垓下の戦いから必死で漢軍の追撃から逃れていた項羽は、烏江(うこう)という土地にたどり着きます。

その土地の長者は、かつて権力を持っていた項羽に対して手助けしたいと申し出ました。

高校の古典の教科書にも登場するほど有名な一説ですが、

江東という土地は面積そこまで大きくありませんが、住んでいる民衆は数十万人以上いて、

あなたが王として再び立ち上がるには十分な条件を備えています。

もう一度戦を起こす準備をするためにも、漢軍に追いつかれないようにするためにも、急いでこの川を渡ってください。

今、この土地で船を持っているのは私一人です。

漢軍がここに来たとしても、私の船がなくなってしまえば渡ることはできません。

と土地の長者が項羽に声をかけます。

その言葉に対して、もう負けを悟ってしまっている項羽は笑って

天が我を亡ぼそうとしているのに、どうしてここを渡ることなどできるだろうか、ここを渡るつもりはない。

かつて我は江東の部下たち八千人と一緒に烏江を渡って江東に行ったことがある。

だが、今は江東の出身の部下がいない。

たとえ江東の人々が我を憐れんで、我を王と認めてくれたとしても、どのような顔で彼らに会うことができるだろうか、そんなことはできない。

たとえ彼らから責められることがなくても、我は自責の念にかられる。

と答えました。

ですが、危険を承知で自分に助けを申し出てくれた集落の長にとても感謝します。

そして、項羽は自分が乗っていた名馬をお礼として長に差し出しました。

同郷の人に裏切られた最後

烏江の長者の申し出を辞退して漢軍から逃げていた項羽ですが、とうとう追いつかれてまた戦うことになります。

その漢軍の中にいたのが、呂馬童(りょばどう)という人物です。

呂馬童は項羽と同郷の人物で、かつては英雄として項羽に憧れていたこともありましたが、項羽のやり方に疑問をもって、劉邦が率いる漢軍に所属していたのです。

自分を追ってくる漢軍の中に呂馬童がいることが分かり、対面することになったとき、項羽は

我の首にはとても高い賞金がかかっていると聞いている。お前がその賞金をもらえるように死んでやろう。

と呂馬童に伝えて、自ら首をはねて死んでしまったのです。

今日のまとめ

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

乱暴者、部下からの信頼を得ることができなかった、などの記述も残っている項羽ですが、

四面楚歌の歌では

・自分の愛人と馬の行く末を案ずる

・助けを申し出た長官に感謝の意を示す

・知人に恩賞を取らせようと自ら首をはねる

など人や動物を思いやるエピソードも残っています。

敗戦を経験して弱気になっていたということもありますが、

自分が殺されそうになっていても人や動物への思いやりを忘れていなかったことは、素晴らしいことだと思います。

権力が強かった時代に、項羽にも劉邦のように部下の助言を聞き入れる器量があれば、

漢軍に敗走することはなかったかもしれません。










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