幼いころから頭脳明晰だった
小村寿太郎。
ハーバードのロースクール時代には、アメリカ人学生から敬礼されるほど成績優秀だったとか。
エリート街道を歩んできたように見える小村寿太郎ですが、実は不遇の時代を送っていたことがありました。
そこで今回は、小村寿太郎不遇の時代と、小村の才能を見出した陸奥宗光とのエピソードをご紹介していきます。
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小村寿太郎・不遇の時代
小村寿太郎はハーバード大学のロースクールを卒業後、弁護士を目指して法律事務所で研修を受けていたそうです。
帰国後は司法省に入省し、判事としても働いていました。
やがて英語と法律に長けている者を、という外務省側からの打診を受け、小村寿太郎は外務省へと移ります。
しかし、上司を批判したのがきっかけで、閑職といわれる翻訳局に追いやられてしまいます。
仕事に恵まれない時代は10年以上続きました。
陸奥宗光に見出された読書家・小村寿太郎
そんな不遇の時代を終わらせてくれたのは、時の外務大臣・陸奥宗光でした。
きっかけとしては、こんなエピソードが知られています。
原敬がわからなかった英単語
陸奥宗光が小村寿太郎と、当時通商局長であった原敬と飲み交わしていたときのことです。
陸奥は原敬に対して、紡績に関する英単語の意味を聞いたそうですが、原は答えられなかったとか。
一方、小村寿太郎はその英単語の意味だけでなく、紡績にまつわる豊富な知識を解説することができたそうです。
原敬には気の毒なエピソードですが、小村寿太郎の能力に驚いた陸奥宗光は、小村を外交官に抜擢したのでした。
小村寿太郎の読書法
なぜ小村寿太郎が紡績に詳しかったかというと、暇さえあれば本を読んでいたからだそうです。
紡績に関わらず、あらゆる分野に詳しかったという小村寿太郎。
一つの問題に対して、関連する書籍を3、4冊は読んでいたとか。
さらにその内容を鵜呑みにすることなく、本当に正しいのかを考え、
納得してはじめて知識の材料とするという姿勢で読書をしていたそう。
ぜひこの読書法は、真似をしたいですね。
時代の先を読んで北京へ
陸奥宗光に見出され、外交官としての人生をスタートさせた小村寿太郎。
当時の外交官の人気の勤務地は、イギリス・フランス・アメリカ・ドイツだったといいます。
陸奥は最初、小村をアメリカのワシントンへと赴任させようとしました。
しかし小村寿太郎はそれを断り、清(当時の中国)の北京へ行くことを希望しました。
陸奥宗光もそれは正気か? と疑ったそうですが、小村寿太郎は日清戦争を意識していたのだろうと言われています。
人気よりも実を取ったというわけです。
小村が北京に着任したのは、日清戦争が起こる前年のことでした。
きょうのまとめ
今回は、小村寿太郎の不遇の時代から外交官へと転身するまでをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
① 小村寿太郎は上司を批判したため、閑職に追いやられてしまった
② 読書で身につけた豊富な知識によって、陸奥宗光に見出された
③ 日清戦争を見越して、北京へと赴任した
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