小村寿太郎|身長は低いが大きな男!李鴻章の嫌味に痛快な返し

 

不平等条約の改正などで知られる明治期の外務大臣・小村寿太郎

外交面で欧米列強と対等に渡り合ったという、切れ者です。

しかしご存知でしたか? 小村寿太郎の背が小さかったことを!

小村寿太郎の身長はどれくらい?

小村寿太郎の身長は、パスポートに残されていました。

現在のパスポートには身長を記入する欄はありませんが、当時のパスポートにはあったそうです。

現在の中1男子くらい

そこに記載されている小村寿太郎の身長は156cm。

調べてみたところ、これは現在の13歳3か月の男子くらいの平均身長だそうです。

中1男子くらいの身長で、よくぞ大柄な外国人と対等に渡り合えたものだと感心してしまいます。

小村寿太郎は身長が低かっただけでなく痩せ型、目もくぼんでいて貧相な見た目だったそう・・・・・・。

変なあだ名を付けられる

ネズミのように見えたことから、各国の公使たちに付けられたあだ名は「ラットミニスター(ねずみ公使)」だったとか。

また同僚の日本人からは、「 チュー公 」と呼ばれていたそうです。

明治時代の日本人男性の平均身長は155cmだといいますから、小村寿太郎がとりわけ小さかったわけでもないようです。

ただ、外交交渉を行う外国人から見たら、驚きの小ささだったのかもしれませんね。

大きなアメリカ人が小さな小村寿太郎に敬礼!?

小村寿太郎は身長が低いからといって、卑屈になるような男ではありませんでした。

現在の宮崎県で誕生した小村寿太郎は、幼いころから頭脳明晰だったそうです。

藩校で優秀な成績をおさめたため、長崎で英語を学びます。

また藩からの推薦によって、東京大学の前身である「 大学南校 」にも入学しました。

さらに第1回文部省留学生として、アメリカのハーバード大学へ留学。

そこでも優秀な成績をおさめたという超エリート。

小さな体の小村寿太郎に対して、アメリカ人の学生はすれ違う際に敬礼したというエピソードも残っているそうです。

座布団一枚!李鴻章から言われた嫌味への切り返し

小村寿太郎の背の低さを、イジってくる人間もいました。

清国の政治家・李鴻章(り・こうしょう)です。

李鴻章の身長は、180cm以上だったといわれています。

日清戦争の開戦前、とある宴会で李鴻章は小村寿太郎にこう言ったそうです。

「 日本人は皆、閣下のように小さいのですか? 」

普通の人ならば、ムッとしてしまうところです。

しかし頭の回転が速い小村寿太郎は、こう切り返したといいます。

「 日本では閣下のような大男は、『 大男総身(そうみ)に知恵が回りかね(※) 』と申し、大事を託さぬことになっています」

※体だけ大きくて、愚鈍な男性のことをののしるときに使う言葉です。

あなたのような身長の高い人間は日本では出世できませんよ、ということをさらっと言ってのけたということですね。

いやぁ、愉快、痛快ですね!

これくらいの胆力がなければ、大柄の外国人とはまともに交渉なんて行えなかったでしょう。

きょうのまとめ

今回は小村寿太郎の身長にまつわるエピソードをご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

① 小村寿太郎の身長は156cm、現在の中1男子くらいだった

② ねずみに似ていたので「ねずみ公使」や「チュー公」とあだ名を付けられていた

③ ハーバード大学で優秀な成績を取ったため、アメリカ人の学生が小村に敬礼した

④ 李鴻章からの嫌味に対して痛快な返しをした

こちらのサイトでは、他にも小村寿太郎に関する記事をわかりやすく書いています。

ご興味をお持ちの方は、ぜひご覧になってくださいね。

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