現在でいうところの東京大学から、ハーバード大学のロースクールへと進んだ
小村寿太郎。
今でもエリートですが、小村寿太郎はその道を明治時代に歩んだのです。
今回は日本のスーパーエリート・小村寿太郎が、人間としても超一流だったことがわかる名言についてご紹介します。
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器の大きすぎる小村寿太郎の名言とは
肩書が一流でも、人間としていかがなものか?
という行動・言動で話題になった政治家もいましたね。
ですが日露戦争の際、外務大臣を務めていた小村寿太郎も肩書は超一流!
さらに、とっても器の大きな政治家だったのです。
日露戦争の衝撃
小村寿太郎の名言をご紹介する前に、時代背景をご説明しておきましょう。
1904年に日露戦争が勃発。
満州や韓国の利権をめぐり、日本とロシアが衝突した戦争です。
乃木希典が指揮したことで有名な「旅順占領」や、
東郷平八郎率いる日本連合艦隊が”世界最強”のバルチック艦隊を破った「日本海海戦」など、
黄色人種が白人を破った戦いは、日本だけでなく世界にも衝撃を与えました。
国力の限界
華々しく思えるこれらの戦いですが、すでに日本は国力の限界に陥っていました。
多くの犠牲者が出たうえ、戦費も賄うことができなくなりました。
もうこれ以上、戦争を長引かせることはできなかったのです。
さらにロシア国内では、第一次ロシア革命(※1)が起こっていました。
日本もロシアも、戦争を早く終結させなければいけませんでした。
ポーツマス条約の締結
そこで1905年、アメリカのポーツマスという場所で日露講和条約が結ばれました。
この条約は別名、「ポーツマス条約」と呼ばれています。
ロシア側の全権(=一切の権限を持った人)はウィッテ、そして日本側の全権は小村寿太郎でした。
ポーツマス条約で日本はいくつかの権利(※2)を得ることができましたが、賠償金は放棄しています。
この賠償金を取れなかったことが、日本国内で大きな騒ぎの原因となったのです。
日本の国民が一部暴徒化
一般の日本国民は国力の限界など知りませんでした。
戦争には勝ったのに、なぜ賠償金が取れないのか?
そう思い、怒った国民の一部が暴徒化し、警察署や内務大臣官邸などを焼き打ちしたのです。
その怒りの矛先は、全権であった小村寿太郎も向けられました。
小村本人は、家族も含め焼き殺されると覚悟を決めていたようです。
結局無事だったのですが、実はこの焼き打ちの裏には扇動するビラを配った、とある新聞記者の存在がありました。
焼き討ちを扇動した記者への言葉
その記者が小村寿太郎に、焼き打ちは困っただろうと聞いたときの言葉がこちらです。
いや国民にあの意気があってくれたので外交ができた。
国民の士気さかんなるものあり国家の前途また洋々たりである。
『日本人の叡智』磯田道史著より引用
どうです? 器が大きいというか、違いすぎますよね。
この言葉をきっぱりと述べたということですから、本心から出た言葉なのではないでしょうか。
もしあなたが小村寿太郎だったら、国民から焼き打ちに遭った後、こんなことさらっと言えますか?
肩書だけでなく、人間としても超一流、いえ別格の小村寿太郎でした。
きょうのまとめ
今回は器の大きい小村寿太郎の名言とエピソードについてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
① 小村寿太郎はポーツマス条約の日本全権を務めた
② 賠償金を放棄したため、国民の一部が暴徒化した
③ 暴動の扇動ビラを刷った新聞記者に、器の大きすぎる言葉をかけた
こちらのサイトでは他にも、小村寿太郎にまつわる記事をわかりやすく書いています。
ご興味をお持ちの方は、ぜひご覧になってくださいね。
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