小早川秀秋と言えば、関ヶ原の戦いですね。
彼が東軍に寝返ったために事実上、東軍勝利が確定しました。
彼は21歳で跡継ぎのないまま、この世を去っています。
しかし、「小早川家」は現代でも残っています。
なぜでしょうか?
知りたいとは思いませんか?
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小早川家は現代に生きている
現代に生きる小早川家とは?
小早川秀秋は21歳でこの世を去っていて跡継ぎはなく、小早川家は断絶しています。
現在の小早川家は明治維新後に復興されました。
毛利家の当主である公爵・毛利元徳の三男・三郎が小早川姓を名乗って再興したのです。
厳密に言えば、秀秋の血筋ではありませんが「小早川」という家は再興されました。
小早川家は戦国時代より毛利家と縁があり、跡継ぎを毛利家から迎えているのです。
安土桃山時代の当主・小早川隆景はもともと毛利家の出です。
こんな縁から毛利家の分家として小早川家が再興されたのでしょう。
ちなみに小早川家は子宝にあまり恵まれていません。
小早川家を継いだ三郎氏が早世、その跡を継いだ四郎氏にも実子がありませんでした。
そこで毛利家からまたも養子をもらい受けました。
それが現当主の父である元治氏です。
小早川隆景の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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現当主の素顔と愛知県との関わり
現在の当主は小早川隆治氏。
元治氏の実子です。
東京生まれで大学卒業後はマツダに入社し、ロータリーエンジンの開発に携わります。
後に「RX-7」の開発主査も担当。
ル・マン耐久レースにも18年連続出場しています。
先代の元治氏も車好きで、日産車の開発に従事する技術者だったそうです。
隆治氏の車好きは父・元治氏の影響が大きかったようで、父との会話は車の話が中心だったそうです。
隆治氏は学生時代に、「トヨペット・マスターライン」という車種で鹿児島と東京を往復し、仲間5人で車の「疲労度測定」を行ったそうです。
マツダの退職後はモータージャーナリストとして活躍されています。
ところで、名目上の先祖に当たる秀秋は木下家の出でした。
木下家は元の姓を杉原といい、秀吉の正妻・北政所の実家です。
愛知県がその発祥の地とされています。
愛知県といえば、現在では「トヨタ」のお膝元。
隆治氏はトヨタ自動車のクルマ情報にも寄稿しています。
学生時代に鹿児島を往復したのもトヨタ車でした。
こんなところにも出自との縁を感じますね。ちょっと強引ですか?笑
きょうのまとめ
小早川家は秀秋の無嗣断絶でいったんは途切れました。
明治時代に毛利家の支援で復興したあと、名跡を留めています。
現当主の隆治氏はモータージャーナリストとして活躍。
「クルマ社会」の現代に息吹を与えています。
秀秋の祖先が生まれた愛知県にあるトヨタとも縁のある隆治氏。
インターネットの「トヨタ自動車のクルマ情報」に熱い思いが語られています。
秀秋の直系はもうこの世に存在しません。
しかし、再興された子孫は名跡を留め、世の中に貢献しています。
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