吉川元春の家系図と子孫について

 

76戦0敗の武将、

不敗伝説を残している吉川元春家系図はどのようなものだったのでしょうか。

また、その子孫はどのようになったのでしょうか。

今回は不敗伝説が残る吉川元春のルーツから、

その子孫のその後についてお伝えします。

 

吉川元春の家系図

まずは、吉川元春の家系図をみてみましょう。

家系図

有名な逸話 三本の矢

76戦0敗の不敗伝説を誇る吉川元春。

その背景には、家族の結束があったとされています。

あの有名な「三本の矢」もこの吉川元春の一族のお話です。

一本では折れやすい矢でも、三本束になることで折れることがない。

この有名な逸話は、吉川元春の父・毛利元就が話したとされ、

長男の隆元、二男の元春、三男の隆景、3人の息子達へ向けた言葉だとされています。

残念ながらこの逸話は実際にはなかったと言われますが、

この3兄弟はこの逸話通りの協力体制で毛利家を見事大勢力に拡大させています。

 

吉川元春のルーツについて

1530年、吉川元春は安芸国(現在の広島県)に生まれます。

父は一代で8国の大大名にまで出世した、毛利元就。

毛利家の祖は鎌倉幕府の重臣、大江広元の四男、毛利季光もうりすえみつといわれます。

大江氏は鎌倉幕府時代の源氏平氏にも負けず劣らずの名門でした。

毛利季光は、相模国毛利庄(現在の神奈川県厚木市周辺)を相続していました。

承久の乱を契機に安芸国吉田荘の地頭職を得て、安芸・毛利家として再出発しました。

地頭職: 鎌倉幕府・室町幕府が荘園・国衙領(公領)を管理支配するために設置した職

この安芸・毛利家が吉川元春の父、毛利元就です。

無敗の吉川元春には名門の血筋、そして優秀な武将である父・毛利元就の庇護があったことも背景にあったのかもしれません。

 

吉川元春の家系図について

母は毛利家と絆が深い、吉川家出身の妙玖みょうきゅう

兄弟はあの有名な三本の矢、

長男の「毛利隆元」、二男の「吉川元春」、三男の「小早川隆景」。

長男は毛利家を家督相続し、

二男の元春は母の実家吉川家の当主となり、

三男の隆景は備後竹原の大名小早川家の当主となります。

この吉川家と小早川家は毛利家を支える重要な「毛利両川」として、長男の毛利隆元とその嫡男・毛利輝元を支える体制をつくり上げました。

まさに三本の矢そのままの体制と言えるかもしれません。

妻は新庄局しんじょうのつぼね

元春の家臣、熊谷信直の娘ですが当時は不美人として有名でした。

しかし、吉川元春は不美人と言われた新庄局を大事にし側室も設けませんでした。

このことが家臣などにも共感を持たれ、無敗伝説を生みだした要因の一つとして知られています。

吉川元春の子どもは、

嫡男・吉川元長(父亡き後、翌年病死)、

二男・毛利元氏、

三男・吉川広家、

四男・吉川松寿丸(早世)

2人の娘(益田元祥の正室、吉見元頼の正室)

の計6人兄弟。

二男・毛利元氏は長州藩一門家老の阿川毛利家として存続し、

三男・吉川広家が家督を相続、吉川家の当主となりました。

吉川元春の子、吉川広家が徳川幕府を作った!?

吉川元春が亡くなったのち、

家督を相続した三男・吉川広家は歴史にその名を残しています。

天下分け目の関ヶ原の戦い、

徳川家康の東軍と石田光成の西軍が争った戦いで有名ですが、吉川広家は西軍に属していました。

しかし、徳川家の東軍が優勢であると分析していた吉川広家は、徳川家康と組み、西軍を裏切ります。

裏切り方も巧妙で戦略的な裏切りで、当日まで西軍に属しており、以下のような工作を行っていました。

・西軍の総大将・毛利輝元を不参加

毛利家を守るため、西軍の総大将・毛利輝元とその軍勢を大坂城に留め置き、関ヶ原に出陣させませんでした。

・毛利秀元らの出陣を阻害

総大将・輝元の子、毛利秀元らの出陣を阻害する位置に陣取り、毛利勢を戦いに参加させませんでした。

・出陣拒否

石田光成や同じ西軍からの出陣要請を
霧の濃さや「弁当を食べる」と言って拒否しました。

結果、東軍有利に戦況が動き、東軍勝利となりました。

この裏切り勝利で徳川家康は「吉川家の存続」と「毛利家の処罰軽減」を約束したと言われています。

もともと西軍中心メンバー安国寺あんこくじ恵瓊えけいとの不仲も影響していましたが、東軍有利を早くから分析していたようです。

吉川広家は本家毛利家にも強い影響力を持ち、毛利家・吉川家いずれも参戦させないように尽力しています。

ただ、もし毛利家・吉川家が最善を尽くして西軍に参加していたら・・・。

西軍勝利という可能性もあり、

歴史は大きく変わっていたとも言われています。

吉川元春の子、吉川広家の裏切りが「明治維新」につながった!?

実際、吉川広家の裏切りにより徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利しました。

一旦、反対勢力の毛利家・吉川家の存続は実現しましたが、

結果的に毛利家は120万余石から36万9000石にまで領地を減らされます。

この毛利家の徳川家に対する深い怨みが、長州藩に引き継がれています。

ご存知の通り、江戸幕府は長州藩からの反逆を中心として、薩長同盟を実現させ江戸幕府を倒し明治維新を迎えます。

吉川元春の子、吉川広家の裏切りをきっかけとした「毛利家の怨み」が、260年続き徳川政権を倒したと言っても過言ではないでしょう。

吉川元春の子孫、吉川晃司?

広島県出身のミュージシャン、吉川晃司さん。

1984年に「モニカ」でデビューをし、

後に布袋寅泰さんとユニット「COMPLEX」で一世を風靡したミュージシャン。

その吉川晃司さんは吉川元春の末裔と言われています。

2009年に公開されたNHK大河ドラマの「天地人」では、毛利家と敵対していた織田信長を演じ、当時は物議を招いたとも言われています。

 

きょうのまとめ

吉川元春の家系図と子孫について見てきましたが、いかがでしたでしょうか

吉川元春の家系図と子孫は、

① 吉川元春のルーツは鎌倉時代の名門大江氏の流れをくむ

② 吉川元春の父、毛利元就は一代で8国のだ大名までのし上った人物

③ 妻は家臣の娘、不美人だが大事にし側室も設けず、家臣たちの共感を得た

④ 吉川元春の子、吉川広家が西軍を裏切り、徳川家康勝利に導いた

⑤ ミュージシャン吉川晃司さんは吉川元春の子孫だと言われている

と言えるのではないでしょうか。

吉川元春については、他にも色々な記事があります。

よろしかったらご覧になってみて下さい。

吉川元春の年表を含む【完全版まとめ】記事はこちらをどうぞ。
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