ケネディ大統領とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

 

ジョン・F・ケネディ(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ / John Fitzgerald Kennedy)は、

43歳という若さでカトリック初の大統領となった人物です。

微笑を浮かべるケネディ大統領をみているだけで、

人気振りがわかるという人もいらっしゃいますが、

実はケネディ大統領がリーダーシップを身に付けるのには相当な努力があったそうです。

若くしてアメリカ大統領の座を射止めたケネディ大統領とは、

どんな人物なんでしょう?

 

ケネディ大統領はどんな人?

プロフィール
ジョン・F・ケネディ

ジョン・F・ケネディ
出典:Wikipedia

  • 出身地:マサチューセッツ州ブルックリン
  • 生年月日:1917年5月29日
  • 死亡年月日:1963年11月22日
  • アメリカ合衆国政治家。43歳という若さで第35代アメリカ合衆国総理大臣。ソ連との核戦争を積極的な交渉で解決。

 

ケネディ大統領の年表

年表

西暦(年齢)

1917年(0歳)実業家であり駐英米国大使も務めたジョセフ・パトリックとローズ夫妻の次男として誕生

1941年(24歳)海軍士官となる

1946年(29歳)民主党下院議員となる

1952年(35歳)上院議員となる

1953年(36歳)ジャクリーンと結婚

1961年(44歳)第35代アメリカ合衆国大統領となる

1962年(45歳)キューバ危機

1963年(46歳)

 米英ソ連間で部分的核実験禁止条約(PTBT)を締結
 パレード中に暗殺される

 

ケネディの生涯

それでは、ケネディの生涯についてみていきましょう

病弱な子供時代

祖父の時代にアイルランドから移民してきたカトリック系のケネディ家。

父は銀行家として成功し駐英米国大使も務めた敏腕の仕事人で、政治にも経済面でも影響力をもっていました。

ケネディ大統領は7人兄弟の二男。

幼いころから体が弱く、病気ばかりしていたようです。

16歳ごろの身長は183cmなのに対し、体重は53kg。

ついたあだ名は「ねずみ顔」

生まれたころは、面長で耳が少し尖っており「エルフ」のようだと皆からかわいがられ、活発で元気な子だったとか。

でも、父は子供を支配する愛し方しかできず、

母は子供たちより遊ぶことに夢中で、両親の愛に餓えていたようです。

 

エリート教育を受けたケネディ

父は子供たちにエリート教育を強いました。

当時のアメリカはプロテスタント社会で、カトリックだったケネディ家が更に上層階級へと進むためには必要なことでした。

優秀な兄には期待もあり厳しかったようですが、ケネディにはある程度は緩やかでした。

プロテスタント優位の学校に通っており、兄はスポーツができたため順応します。

ケネディは「モッカーズ(反抗的な生徒たち)」と校長からも呼ばれる問題児だったようですが、

頭はよくハーバード大学に進学し、その後カリフォルニアのスタンフォード大学に行くほどでした。

 

第二次世界大戦での負傷

1940年に徴兵が発表されました。

「徴兵忌避者」とされた父の恥辱を跳ね除けたかったケネディは、

全国で18番目に登録。

本当は陸軍に入りたかったものの、健康的な理由で不合格。

兄のジョーと共に海軍から召集を受けました。

魚雷艇PT109でソロモン島へ行き、日本と対決。

日本の駆逐艦に衝突されて、船はまっぷたつに折れ、2名が死亡。

海軍中尉だったケネディは、大きな責任を感じたと語っています。

ケネディ自身も一命を取りとめたものの脊髄を負傷、元々腰は悪かったものの、この傷は一生彼を苦しめたようです。

 

兵士から政治家への転身

兄が戦死したため、父に

「議員になるのはお前だ」

と説得され政界に進出しました。

政治家として生きる決意をしたケネディは民主党へ入党し、1946年に29歳で下院議員に当選。

6年後に上院議員に当選しました。

ほぼ無名議員から一転したのは、1956年の大統領選民主党代表候補になったことです。

落選はしたものの、1960年の大統領選での民主党候補は“ケネディだ”と議会や国民に存在をアピールできました。

大統領への道

1958年の上院議員選挙では、マサチューセッツ州全体の73.6%と前代未聞の圧勝ぶり。

過去最多87万4608票を獲得しました。

マフィアとの結びつきも囁かれる悪名高きケネディ一家は、あらゆる手を尽くしてケネディ大統領の人気を不動のものとしており、他の協力してくれた友人たちのお陰もあり圧勝したのです。

大統領選では党内に、4人の有力候補がいましたが、

「アメリカの利益を守れる人物だ」

との支持を受け民主党の代表権を獲得しています。

裏ではテレビ局に賄賂を渡し、街頭演説では民衆にソーダを配るなど膨大なお金が動きました。

もちろんマフィアも。

本選では、以下がケネディに勝利をもたらした特筆すべき要因でしょう。

・反カトリックの雑誌をカトリックの地域に配布

・ニュー・フロンティア政策についての演説が高評価

・当時、間違いなく大統領になるといわれていた対立候補のリチャード・ニクソンを史上初のテレビ討論会
に引っ張り出した

特にテレビ討論会は、ニクソンは不愛想で老けて見えたのに対し、ケネディは若々しく気取らない態度が好感度を増し、

“新しい大統領像”を印象付け大成功を収めています。

若さと巧みな演説で国民を魅了したことはいうまでもありませんが。

プロテスタント地域では得票率は伸びなかったものの、ウィスコンシン州で56%を獲得し勝利しました。

核戦争の悲劇を阻止した素晴らしい功績

僅かの差でニクソンに勝利し、第35代大統領になったケネディの最大の功績は、

核戦争を阻止したことでしょう。

当時のアメリカは、ソ連との関係が危うくなり始めていたのです。

1962年にソ連はキューバにミサイル基地を造り(キューバ危機)、両国は核戦争を起こしそうになっていたのです。

この報告を受けたケネディ大統領は、対話で解決すべきと、当時のソ連のフルシチョフ首相との手紙による交渉をはじめ揺さぶりや探り合いなどを経て、平和的な解決に成功しキューバからミサイルが撤去されました。

交渉の終盤には、米軍の偵察機がキューバでソ連軍に撃墜されるなど危機的状況でした。

この問題では、ケネディも

「他に、何かできることは?」

と何度も怒鳴り散らしたそうです。

もし核戦争が起こっていたら、米ソで各1億人以上、欧州で数百人の死者が出ただろうといわれています。

口だけではなく、彼は行動力にも秀でていたともいわれています。

翌1963年には、イギリスと空中及び水中では水爆実験をしないという、

「部分的核実験禁止条約(PTBT)」を締結し、核爆弾規制への貢献もしました。

またアポロ計画を積極的に推進し、宇宙開発にも尽力しています。

暗殺されてしまったケネディ

ニュー・フロンティア政策を推進していたため、

人種差別主義者からの激しい抵抗を受けたことも、

ソ連との関係を平和的に解決したことへの不満をもった人もいました。

1963年にテキサス州ダラスで、オープンカーに乗ってのパレード中に射殺されてしまいました。

犯人とされたオズワルドは逮捕の2日後に殺されています。

陰謀説も囁かれている暗殺の真相は謎で、現在もアメリカ史最大の謎とされており、ケネディ大統領暗殺の機密文書の公開もされる予定です。

 

生まれ変わるキューバ

フィデル・カストロ(故)は、キューバ革命の父と呼ばれる人物です。

対米との関係悪化後に、ソ連と親密な関係を築き、

先ほど触れた「キューバ危機」などケネディ政権下では厄介な存在でした。

ケネディ政権はCIAに圧力をかけ、「カストロ問題」を暗殺により解決しようとしたとの説があります。

カストロもケネディ暗殺の陰謀者の一人ですが…。

カストロ兄弟支配が終わり、新しく生まれ変わることが発表されました。

カストロ自身は引退し政権を弟のラウル・カストロに首相の座をゆずるも、革命が起こった1959年から60年間もカストロ兄弟によって、社会主義国家キューバの実権が握られていました。

ラウル元首は2013年に任期後に引退すると表明しており、今回現実となったのです。

2018年4月19日に開かれた国会で、キューバ革命後に生まれた「ミゲル・ディアスカネル(57)」が選任されました。

ラウル元首は2021年までは共産党トップの座に留まるものの、革命からの「カストロ兄弟支配」という一時代に終止符が打たれました。

ケネディ大統領が生前活躍していたころの、一つの時代がまた幕を閉じました。

少し寂しい気がしますね。

 

きょうのまとめ

若くて爽やかなケネディ大統領ですが、

持病である脊髄の病気のため、立ったままで仕事をすることが多かったとか。

背中には装具を付けて、大量の鎮痛剤や精神安定剤も服用していたといわれています。

映画化されるほど人気の高い大統領ですが、

陰ではさまざまなことと戦いつづけた人生だったようです。

ケネディ大統領とは?

① 病弱でひ弱だけど、エリート教育を受けた優秀な青年

② ソ連との核戦争を平和的に解決し、PTBR条約の締結

③ 世界中に衝撃を与えたケネディ大統領暗殺

といえるのではないでしょうか。

こちらのサイトでは他にも、ケネディ大統領に関する記事をわかりやすく書いています。

ご興味のある方は、ぜひご覧になってください。

 
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