春日局は、三代将軍・徳川家光の乳母として大奥に上がり
最終的には、「将軍様御局」として、大奥を取り仕切るようになります。
将軍の乳母という立場から、老中を上回る権力を持っていたといいます。
現在のイメージで言うと、スーパーキャリアウーマンでしょうか。
そんな春日局のお墓はどこにあるのでしょうか。
場所は?そんな疑問にお答えするべく調べてみました。
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春日局のお墓はどこにある?
春日局のお墓はどこにあるのか、調べてみると三箇所あることが分かりました。
一つずつ見ていきましょう。
東京都文京区の麟祥院(りんしょういん)
まず一つ目は、東京都文京区春日通りにある麟祥院です。
麟祥院は臨済宗妙心寺派の寺院で、春日局の法号(戒名)である
「麟祥院殿仁淵了義尼大姉」がそのままお寺の名前となっています。
春日局の菩提寺として有名なお寺です。
春日局の墓石は四方に穴が貫通している珍しい形をしています。
これは
死んでからも天下のご政道を見守れる墓を作って欲しい
という春日局の遺言によるものです。
怖いイメージのある女性ですが、徳川家を思う心は人一倍強かったのですね。
麟祥院は春日通りに面して建っていますが、
この春日通りという名前も、春日局が家光から賜った御屋敷があったことから、
付けられた通り名なんです。
近くを通る機会があったら、春日局のことを思い出してみてください。
<麟祥院>
神奈川県小田原市の紹太寺(しょうたいじ)
次は神奈川県小田原市にある紹太寺です。
紹太寺は、黄檗宗の寺院です。
あまり聞いたことない宗派ですが、黄檗宗は日本の三禅宗の一つです。
教義や修行は臨済宗と変わらないと言われています。
この紹太寺は、稲葉氏の菩提寺です。
春日局は稲葉正成と結婚していました。
家光の乳母となるために、正成と離縁しますが、
その後も稲葉家との縁は続いていました。
この紹太寺には春日局の息子や孫、そしてその妻たちの墓があります。
権力を欲しいままにした春日局ですが、今はゆっくりと家族と眠っているんですね。
<紹太寺>
京都市の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)
三つ目は、京都市の金戒光明寺です。
金戒光明寺は、浄土宗の寺院で格式高い本山の一つです。
徳川家とは深い関わりのあるお寺で、いざという時には軍事拠点とするべく金戒光明寺を城構えとしているのです。
また高台にあり京の町を見渡せるため、幕末には会津藩の京都守護職本陣となりました。
この金戒光明寺には、二代将軍徳川秀忠の正室・お江の供養塔と、家光の弟、徳川忠長の供養塔が建てられています。
この二人の供養塔は、春日局が建立したものです。
そして、二人と並んで春日局の供養塔も建てられています。
微妙な関係の三人が並んでいるわけですが、あの世で喧嘩していなければいいですね。
<金戒光明寺>
きょうのまとめ
春日局のお墓について見てきましたが、いかがでしたか?
いわくのある人たちと並んでいたり、家族と一緒に眠っていたり、
死後も忙しそうですが、意外とみんな仲良くやっているのかもしれません。
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