韓信はどんな最後を遂げたの?

 

韓信はとても優秀な、劉邦(りゅうほう)の部下の一人でした。

しかし韓信は劉邦に謀反の疑いをかけられて、兵を持つことができない役職に降格されたことから劉邦に対する信頼を失っていき、

最後には劉邦に対して反乱を起こそうとしました。

その反乱が失敗したことで、韓信は処刑されてしまいます。

今回は韓信の最後について、まとめていきます。

韓信と劉邦

韓信は劉邦からの信頼も厚く、韓信は劉邦と他の武将の品定めをすることもあったそうです。

劉邦に対して

「 自分は兵の数が多ければ多いほどその兵たちを統率する力がありますが、陛下にはせいぜい数十万の兵をまとめる小になるほどの力しかありません。 」

と韓信が言ったことがあるという記録も残っています。

ですが韓信は

「 陛下には他の人にはない、天性の魅力がお持ちです。そのため、兵を率いることはできなくても、多くの武将をまとめる力を持っています。 」

と劉邦に伝えていました。

このエピソードからも、韓信はとても劉邦に対して厚い忠誠心を持っていたということが分かると思います。

劉邦から謀反の疑いをかけられる

謀反の疑い

楚(そ)国の王になるほど出世していた韓信の運命が暗い方向に大きく転がったきっかけが、劉邦から謀反の疑いをかけられてしまったことでした。

劉邦が韓信の謀反を疑うようになったのは、韓信が自分の旧友であり、武将としての力も持っていた鍾離眜(しょうりばつ)をかくまったことが原因です。

なぜ韓信のもとに鍾離眜がいるということを劉邦が知ることができたのかというと、韓信の出世を面白く思っていない人物が、劉邦に告げ口をしたからです。

この頃はまだ劉邦に対して忠誠心を持っていた韓信は、自分に謀反を起こす意思がないということを示すために、鍾離眜に自害を勧めました。

鍾離眜から言われた言葉

鍾離眜は韓信の勧めに従って自害しますが、彼は自害する前に韓信に対してこう言葉をかけました。

「 漢王が私のことを必死で探そうとするのは、私のことが怖いからだ。

私の次は、あなたが始末されることになるぞ。 」

劉邦はこの時は韓信の弁明を何とか聞き入れました。

しかし劉邦はこのことがきっかけで、韓信を兵を持たない役職まで降格しました。

劉邦に対して反乱を企てる

を持たない役職にまで降格させられた韓信は、劉邦に対しての不満を募らせていきます。

そして陳豨(ちんき)という、自分に対して好意を持っていて、さらに劉邦からの信頼も厚かった人物と一緒に反乱を企てました。

しかし、また韓信のことを快く思っていない部下が皇后に対して告げ口をしたため、計画は失敗に終わってしまいます。

韓信は反乱が成功しないということが分かると病気だと言って自宅に引きこもってしまいました。

そんな韓信に対して蕭何(しょうか)が外に出てくるように勧めたのです。

自分のことを劉邦に推薦してくれた蕭何のことをとても信頼していた韓信は、蕭何の助言が罠だということを知らずに助言に従ったために、捕らえられて処刑されてしまいました。

劉邦は韓信の処刑を見届けることはありませんでした。

しかし、韓信が処刑されたことを最初は悲しみました。

ですが、韓信が最後に

「 蒯通(かんつう)の勧めに従わなかったことが心残りだ 」

と言い残して死んだということを聞くと、とても怒りました。

蒯通の言葉というのは、

「 あなたが斉の王となった今、天下を漢、楚、斉に三分して、漢と楚の軍が争いに疲れた頃に反乱を収めることができれば、あなたが天下を統一することができる。 」

というものです。

韓信はこの助言よりも劉邦に対する忠誠心を優先しました。

処刑される前に韓信は、自分が天下を統一する道もあったのにという意味の言葉を残したのです。

きょうのまとめ

いかがでしたか?

韓信は飛躍的な出世をしたのに、最後はとても悲惨なものでした。

漢の三傑(さんけつ)、劉邦の元で特に沢山の功績を残した忠実の部下と呼ばれた韓信は、

最後は劉邦に対して反乱を企てたために処刑されてしまいます。

優れた統率者でいるためには、きちんと部下たちの才能を認めて報酬を与えることが大切だ、

ということが韓信の最後からは読み取れるのではないでしょうか。










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