桓武天皇陵の場所はどこ?豊臣秀吉が潰していたという説も

豊臣秀吉 とよとみひでよし

 

平安京への遷都や、坂上田村麻呂に蝦夷を征討させたことで知られる

桓武天皇かんむてんのうは、70歳でこの世を去りました。

実は桓武天皇のお墓は、どこにあるのかわかっていないことをご存知でしょうか。

そこで今回は、桓武天皇陵があると思われる場所などについて、

紹介していきます。

 

桓武天皇陵がある場所はどこなのか

桓武天皇かんむてんのう

『桓武天皇像』
延暦寺 蔵
出典:Wikipedia

それでは桓武天皇陵の本来あるべき場所と、

候補地について順に紹介していきますね。

本当は宇多野で眠りたかった桓武天皇

生前の桓武天皇は、宇多野うたの(京都市右京区)に墓をつくることを望みました。

しかし造営の際に不審な事件が相次ぎ、それは賀茂神社の祟りであるとされます。

そのため、宇多野には墓所をつくることができませんでした。

 

さて、桓武天皇陵だけに限らず、歴代の天皇陵は所在不明になってしまったものが多いのです。

しかし明治維新前後において、歴代天皇陵の場を確定しようとする動きが急遽出てきました。

宮内庁が定める柏原陵

そういった経緯により、宮内庁が桓武天皇の墓所としている柏原陵かしわばらのみささぎがあるのは、京都市伏見区です。

とはいえ、柏原陵は明らかに埋葬地ではないとされる「擬陵ぎりょう」。

現在は立派な姿をもつ柏原陵ですが、こちらも明治以降になって大修理が行われたからだそうですよ。

 

さて柏原陵は、豊臣秀吉が築城したことで知られる伏見桃山城のすぐ近くにあります。

本当の柏原陵は築城の際、秀吉に壊されていたという説もあります。

それが本当だったとしたら、秀吉は何ということをしてくれたのでしょうか。

<柏原陵>
【所在地】京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎
【アクセス】京阪・近鉄丹波橋駅より徒歩約13分

何か関係が?大亀谷陵墓参考地

柏原陵とは別に、桓武天皇陵ではないかと考えられているのが、大亀谷陵墓参考地おおかめだにりょうぼさんこうちです。

名前に「参考地」とついているだけあり、一時期はこの場所が桓武天皇陵であると内定していたのだとか。

大亀谷陵墓参考地付近からは謎の石棺が出土しており、現在は近くの仏国寺境内に置かれています。

果たしてこれが、桓武天皇の遺体が納められていた棺なのでしょうか……気になります。

<大亀谷陵墓参考地>
【所在地】京都府京都市伏見区深草大亀谷古御香町
【アクセス】JR藤森駅より徒歩約15分

 

きょうのまとめ

今回は今でも謎の桓武天皇陵について、簡単にご紹介しました。

① 桓武天皇陵は本来、宇多野に造られるはずだった

② 明治維新前後、所在不明だった歴代天皇陵を確定することが試みられた

③ 京都市伏見区の柏原陵・大亀谷陵墓参考地などが候補地とされている

こちらのサイトでは他にも、桓武天皇にまつわる記事をわかりやすく書いています。

より理解を深めたい方は、お読みになってくださいね。

 
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