2002年、サッカーワールドカップが日韓共同開催で行われました。
その際、天皇陛下の発言が話題になったことをご存じでしょうか。
今回はその発言で注目された、桓武天皇の生母・高野新笠についてご紹介していきます。
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天皇陛下の記者会見
平成13年12月18日に行われた、宮内記者会代表質問でのことでした。
日韓ワールドカップの開催に関連し、韓国への思いを聞かれた天皇陛下。
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。
(引用:宮内庁「天皇陛下お誕生日に際し(平成13年)」
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html
最終アクセス2018.08.16)
という発言されました。
百済とは、かつて朝鮮半島の南西部にあった国家のこと。
こちらのお言葉は、天皇陛下の本来の意思とは別にひとり歩きし、
様々な反応を呼び起こしました。
高野新笠とその一族とは?
何はともあれ、桓武天皇の母親が百済にゆかりがあるとは興味深いですよね。
桓武天皇の生母は高野新笠といい、
百済系渡来人の和氏出身の人物とされています。
渡来人とは?武寧王とは?
渡来人とは文字通り、渡って来た人のこと。
どこから渡ってきたのかというと、大陸です。
優れた技術などを有していた漢民族や百済系の人びとは、
古代日本の政治や文化に大きく貢献したことで知られています。
- 弓月君:4~5世紀頃に百済から渡来したとみられ、養蚕・機織りを伝える。
- 王仁:百済の博士で『論語』などを伝える。
- 阿知使主:文筆に優れ、文書記録を担当した。
さて、高野新笠は和氏の出身で、武寧王の子孫ということでしたね。
武寧王とは百済の第25代の王で、百済を中興した人物として知られています。
ということで武寧王の子孫というと非常にすごそうですが、
和氏が本当にその血を引いているのか、という点は疑わしいと言わざるを得ません。
決定的な証拠がないことから、和氏は武寧王の子孫を「称した」一族と説明されることが多いようです。
高野新笠とはどんな人物だった?
それでは桓武天皇の生母・高野新笠とは、どんな人物だったのでしょうか。
父は武寧王の血を引くとされる、和乙継という役人(※1)。
母は土師真妹という人物でした。
美しいと評判だったという高野新笠は白壁王(のちの光仁天皇)の夫人となり、
- 山部王
- 早良王(早良親王)
- 能登内親王
という3人の子をもうけます。
山部王こそ、のちの桓武天皇です。
早良親王も怨霊になったとして有名になってしまった人物ですね。
詳しくは下記の記事をお読みください。
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夫の光仁天皇が即位したのは60代の頃。
さらに子の山部王も、当初は皇位から遠い存在だったのです。
しかし政争の結果、山部王が即位すると、高野新笠も皇太夫人(※2)となります。
790年に亡くなりますが、当時は息子・早良親王の祟りだと噂されていました。
きょうのまとめ
今回は桓武天皇の生母・高野新笠について、簡単にご紹介しました。
① 高野新笠は百済の王・武寧王の血を引く渡来系氏族出身である
② 本当に武寧王の子孫であるかは疑わしい
③ 高野新笠は光仁天皇との間に、桓武天皇・早良親王らをもうけた
こちらのサイトでは他にも、桓武天皇にまつわる記事をわかりやすく書いています。
より理解を深めたい方は、ぜひお読みになってくださいね。
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