ジャンヌダルクとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

ジャンヌ・ダルク

 

イングランドとの100年戦争で危機的状態にあったフランスを救い、

悲運な最期を遂げた、若き勇敢な少女

ジャンヌダルク

彼女の人生とはどのようなものだったのでしょう?

 

ジャンヌダルクはどんな人?

プロフィール
ジャンヌ・ダルク

出典:Wikipedia

  • 出身地: フランス ドンレミ村
  • 生年月日: 1412年1月6日
  • 死亡年月日: 1431年5月30日(享年19歳)
  • フランスを救った勇敢な少女・ジャンヌダルク

 

ジャンヌダルク 年表

年表
西暦(年齢)

1412年(1歳)フランス東部ドンレミ村に生まれる。

1424年(12歳)ジャンヌ、神のお告げを聞く

1429年(17歳)シャルル王太子への謁見(えっけん)

1429年(17歳)5月、オルレアン解放

1429年(17歳)7月シャルル王太子、フランス国王に即位

1430年(18歳)コンピェーニュで捕らえられる

1431年(19歳)ジャンヌの宗教裁判が開始

1431年(19歳)5月30日 火あぶりの刑で死去

 

フランスを救った、17歳の少女ジャンヌダルク

凄まじい100年戦争の時代に生まれたジャンヌダルク

フランスはイングランドとの100年戦争(1337年〜1453年)真っ只中の時代。

イングランドはフランス北部を制覇し、フランス国内でも内部勢力が分裂。

当時フランス王に即位するはずだったシャルル王太子はもはや国家権力を失い、なす術をなくしていました。

また、あまりに長すぎる戦争によって疲弊しきったフランス兵たち・・・。

フランス王国は「絶体絶命の危機」にありました。

ジャンヌ、神のお告げを機にいざ王太子謁見へ!

そんな頃、フランス東部に位置する人口200人ほどの小さな村ドンレミ村にジャンヌダルクは生まれ、農家の普通の女の子として育ちます。

しかし、イングランド軍によって村は襲撃されます。

悲しみと恐怖に暮れる日、彼女は神からのお告げを聞くのです。

「イングランドと戦ってフランスを救うのです。

そしてシャルル王太子をランスでフランス国王に即位させなさい。」

彼女はこのお告げを聞くものの、普通の農家の少女である自分に何が出来るのだ・・・と悩みます。

しかし、苦しむ人々を見て立ち上がった彼女は

シャルル王太子に謁見(えっけん)するためシノンに向かいます。

ジャンヌ軍、オルレアン奇跡の解放に成功

シャルル王太子に神のお告げを伝えたジャンヌ。

既にあらゆる手を尽くし途方に暮れていたシャルルは、ジャンヌを異例の待遇で軍の指揮官の1人に抜擢します。

そして、この100年戦争でフランスにとって重要な地域であった「オルレアン」での戦いを任命するのです。

しかしオルレアンはすでに7000人のイングランド兵に包囲され陥落寸前。

しかし彼女は自ら負傷しても立ち上がり、彼女の軍のシンボル「百合の花」をモチーフとしたジャンヌ軍の旗を翻し勇敢に戦います。

その姿に心打たれたフランス兵たちは士気を取り戻し、彼らはオルレアン解放を奇跡的に成し遂げたのです。

この勝利後、フランス王戴冠の場所ランスを奪還し、

1429年シャルル王太子は、彼女が聞いた神のお告げの通り、フランス王に即位しました。

見捨てられたジャンヌ

その後、フランス中に彼女の噂は伝わり、

「フランスを守る聖女」と呼ばれます。

一説によると、ジャンヌの元にはフランス中の民衆から助けを求める手紙が届いたそう。

彼女は一通ずつ丁寧に返信をしたと言われます。

しかし、この頃シャルル王はイングランドと政治的和平交渉に挑もうとしていました。

しかし、そんな王の企みはうまく働きません。

またこの頃から、シャルル王には

「ジャンヌの支持が大きくなりすぎているのでは・・・。」

という彼女の存在を疎む側近の声も聞こえ始めてきていました。

それでもジャンヌはフランス王国のため、首都パリ奪還を目指すします。

しかし勢力の少なさから奪還失敗。

王からの軍事支援も次第に減っていき、ジャンヌはとうとうコンピェーヌでイングランド派ブルゴーニュ公国軍の囚われの身に。

この時、シャルル王は彼女を救う手立てを十分に計ることもせず、

自身をフランス国王に導いた彼女を見殺しにしてしまったのです。

悲運の最期・・・火あぶりの刑

イングランド軍としては、フランスを手中に収めるため、

民衆から絶対的支持を受ける彼女を何としてでも貶める必要がありました。

彼らはジャンヌを

「悪魔のお告げを聞いた異端者」

「女性の身分で男装した規律違反者※」

とあまりにも言われのない理由をつけ、最高刑である火あぶりの刑に処します。

フランス北部ノルマンディ地方の街ルーアン、ヴーマルシェ広場で処刑が執行されます。

彼女は灰になるまで焼かれ、その灰はセーヌ川に流されたといいます。

※当時、フランスでは性別、労働階級によって服装が厳しく律されていました。

長い年月によってなされたジャンヌの名誉回復

この悲劇から約25年後、ジャンヌの母と異端審問官長ブレアルの申し立てにより、宗教裁判は再審。

度重なる審議の結果、ようやく彼女の無罪が宣告され、

それからさらに約500年という長い年月を経て、この勇敢な一人の少女の名誉回復がなされました。

現在も、彼女がオルレアンを救った4月29日には、ジャンヌダルクを祝う祭りが毎年開催されているそうです。

 

きょうのまとめ

最後に簡単にまとめます。

ジャンヌダルクとは?

① 凄まじい100年戦争の時代に生まれる

② オルレアン奇跡の解放に成功し、「フランスを守る聖女」と呼ばれる

③ フランス王国に見捨てられ最後は、火あぶりの刑

④ 500年後に無罪の名誉回復

その他の、フランスの歴史を知る様々な記事についても

よろしければどうぞ御覧ください。

 










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